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候補者が、ほかの候補者の選挙運動をすること

地域(の候補者?)にとって、損か得かと言うと、声を上げる問題点はあるのだが・・・

過ってのむらにとって、初めての市議会議員選挙が終わった。
いちばん身近な選挙で、ある意味地域づくりの起爆剤になる選挙だ。
日頃地域にあまり関心が無くても、この機会に考える人間が多くなる。

初めての機会だったから期待したのだが、結果的に『心が躍るわくわく感は空振り』に終わった。

選挙イベントで、初めて経験したことを前回話題にして、疑問なことを選管に聞いてみることを約束した。
選管への手紙を公開する。

地域の候補者は、最下位だが滑り込んだから『マー良かったこと』になるし、結果的に『一番効果的だった選挙運動』が、話題にしようとしていることだから皮肉だ。

『損得論的』にいえば、これをして『得なことは、個人的には何もない』。
何人かの『知人にはうとまれる』だけだし、『友人を失うことになる』かもしれない。
いろいろな『手掛かりを失う』ことにもなる。

それでも、こうしなければ済まないのがtakeyama流。もう『老いの一徹』と言うやつかな?

以下選管への手紙全文

(4月25日)
 候補者がする、本人以外の候補者の選挙運動について(質問)

市議会議員の選挙が終わりました。公正な選挙に取り組んでおられる委員会に敬意を表します。
選挙運動についてご教示ください。
私は、今まで経験したことのない、非常に珍しい選挙活動に遭遇して、しばし考えておりましたが、選挙期間中には一人の有権者として、本人の意図しない影響があることを恐れて表だった意見表明を避けてまいりました。
選挙が終わりました。今後のこともあるのでお伺いします。

『ある候補者が公示早々当地を候補者名入りの正規な選挙カーで訪れ、本人以外の候補者の選挙運動を、明らかに堂々と行いました。
「今日は自分の選挙運動ではない。この地域から出馬している○○を落選させてはならないから運動に来た」と明言しました。
各地で同様の活動をしたようです。儀礼の範囲を明確に逸脱しておりました。』

そこで、以下お伺いします。

1、ある候補者が、選挙カーに記載してある者以外の候補者の応援演説をしていた事実を選挙管理委員会として把握しているか?

2、選挙カーでの街頭選挙運動で、明らかに本人以外の選挙運動をすることが、現行選挙法上可能か。いわゆる選挙違反にはならないか?

3、公営選挙は選挙運動が金銭によって公平が損なわれないように配慮した制度で、その中に、選挙の街頭活動を公平公正に行うために選挙カーの費用を公費で負担することになっていないか?

4、街頭活動用選挙カーは一候補者あたりの台数制限があるはずだがどうか。

5、候補者所有の選挙カーがそれ以外の候補者の選挙運動をすることは、選挙活動の公平公正を担保する公営選挙の精神に反するものだと思うがどうか?

6、候補者が管理する選挙カーの、本人以外の候補者の選挙運動を容認することになれば、必ずしも当選を目指さない候補者を擁立して選挙活動をするやからを容認することにつながる。何らかの対策が必要ではないか。候補者への選挙運動に関する説明は十分行っているか?

7、自分の税金の一部が使われる市民の一人としては、このような選挙活動は容認できない。選挙が公営で行われている事実が市民に正確に伝わっていないことが今回のようなことを容認することにつながっている。候補者の選挙運動に要した経費、公費で負担した実態を広報する努力が足りないと思うがどうか?

以上の項目についてお尋ねいたします。
なお、この質問に関して、あるブログに公開してあります。

始めてみた空

月22日12:29の空
珍しい風景にあった。
平成23年4月22日12時29分のこと。
虹ではない。

何かの機会に写真ではお目にかかったような気がするのだが・・
どうしたらこう言った現象がおこるのかどなたか教えてください。

写真は『かみさん』が撮った。

草刈り場

長い人生?の中で初めて遭遇した。

若い時から民主主義には相当関心があった。
中学校の社会科の先生のせいかもしれない。
本気で『選挙年齢を18歳に引き下げろ!』『オレにも投票させろ!』ともいった。
以後の人生では『本格的な浮動票』として対応してきた。

そのtakeyamaにして、昨日はびっくりした。

市議会選挙が告示された。
ポスター掲示場に22人のポスターを張ってある情景は見事だ。

合併後5年だが、始めて普通の市議会議員の選挙になる。
5年間も『むらの市議会議員』だった。
むらの市会議員、合併の特例で臨時に合併村に1人の市会議員を置いて『合併村の方感謝してください!』だったのだが、その反対、その弊害がもう出ていると思う。
安全に1人の市議会が保証された代償が。

他の地域の候補者の選挙カーが、この過疎地に訪れたのだが、何とその内容が『むらの市会議員への選挙運動』。
話の内容が『合併村のことは一般の市議会議員には判らない。苦戦しているむらの議員を当選させるように!』というもの。
立候補している自身の支援は訴えなかった。
合併後5年過ぎたが、旧村部はまだ議会では外様扱い。『そちらのことはむらの市会議員が扱ってください!』と言うこと?

むらの市議会議員は、4年前地域を二分する一騎討ち、いわば相手との比較対照、『最大公約数的な選挙』で選ばれた。
『どっちがいいか?』だが、『どっちがより駄目か?』の選挙の側面もあったのだから、結果の評価は難しい。

今回は22人中の1人を選ぶのだから、いわば『最小公倍数的な選挙』だ。

地域の候補、政党を名乗るもの、親戚が応援するもの、地域生まれを強調するもの、女性、ボス的力を誇示するもの等多彩。
市民の代表として『市民の声を行政に届ける』などと言うのが一般的だが、ちょっと『ん?』と思うのがtakeyama流。

首長と議会議員を選ぶ『2元代表性の地方自治制度下での議員の役割』は、何と言っても『首長や行政機関のまともなチェック役』としての役割が一番だと思うから、その辺を最重要に選びたいと思う。もちろんバランスも重要だが。
『あれをします!これをします!』と言う訴えは、合議制の議会では『眉唾もの』のような気がするから。

それにしても、自分への支持を訴えることなく、『地域の候補が危ないから、地域の住民は支援するように!』と自分の選挙カーから声を発することには大いに疑問を感じた。

街頭演説の印を持って、選挙カーに書いてある名前と違うものの運動は変だ。
選挙カーの設備はもちろん、運行経費や選挙用はがきの経費は公費、すなわち税金だ。お金が無いことが理由で選挙ができないことが無いように配慮したもので、だから候補者の平等を担保したもの。

『認められた選挙カーだから何をしてもいい!』と言うのはおかしいのではないか?
自分が安泰だからと言って、そんなことを認めていたら『選挙の公平性は保てない』。悪用すればとんでもないことになる。
『当選を志さないエセ候補者』が『選挙の費用を市民に負担させることになる。
選挙の終了後にするが、選挙管理員会に聞いてみるつもりだ。

もうひとつ、選挙通の言葉に『草刈り場』と言うのがある。地域に候補者がいなくて、地域外の候補者が入り乱れて票の取り合いをすることを表現したもので、『だから候補を立てないといけない!』になる。
『草刈り場はご免だ!』になるのだが、なまじ候補者が在るからと言って、大町スキー場やマムシ坂を超えて選挙カーが訪れないような状況では、地域事情は多くの議員に伝わらない。それでは結局のところ『地域課題が解決されないこと』につながる。

takeyamaは『草刈り場歓迎』だ。

恥ずかしいことに!

ブログの管理者として、このブログが『とても恥ずかしいこと』になった。
記事のトップが『スポンサーサイト』になってしまった。

何か書くときに、『大きなパワーが必要』になってしまった。

今、日本は『とてつもないこと』になっている。

takeyamaにも、過って若い時があって、日本の将来をそれなりに議論したのだが、それにはもちろん資本主義社会と社会主義社会の論議も含まれた。

論議の中で、『経済を継続拡大しない限り運営できない資本主義』と言うのがあって、資本主義の行く末には『ん?』だったのだが、旧ソ連の崩壊や東欧諸国の壊滅によってその論議は『勝負あった!』になった。

新たな需要が無い、生産活動の頭打ち状態に『みんないらいらしていた時に大震災』になって、不謹慎だが『大きな経済活動のチャンス』になる側面を感じた。

過って『朝鮮動乱』、『他国の戦争によって、日本が大発展』したように、『震災』が『大きな経済活動の需要が発生』した側面と捉えることもできた。
そこに『猫も杓子も自粛の流れ』ができて、東京都知事選はその最たるものになって、誰が一番もうかったのかは論議の余地が無い。

挙句、プロ野球にもその論調が導入され、『被災地に配慮』して『もっと静かに!』の風潮が一般的になった。

長野マラソンは中止され、民衆が行う『ちょっとしたイベント』や『地域の伝統行事までどうしよう?』の状態にtakeyamaは『ん?』を感じたし、中部電力管内の節電運動にも『ん?』で、『スーパーの売り場の電気を消してそれがどうした?』だった。

被災地を元気づけるのに『お笑いタレントはお笑い活動』しかないし、『野球選手は野球をやる』しかない。

そんな『世間の自粛風潮』に『ちょっと警鐘をならす作文を書き始めた』のだが、『発表する勇気がなかった』し、『それにビビった自身にも嫌気』を感じてブログに遠ざかった。

このブログの読者はそう多くないが、『どうしたい?、この頃書かないねー?』と言ってくれる人もいる。
この機会に、『大して影響力のないブログ』なのだから、気楽に書いていこうと思う。

震災はいずれ復興するのだが、原発の事故は復興に大きな支障がある。
人間が作ったものが壊れたのだから、いわば人災で、想定外はありえないはずだが、最先端の技術での対応ではなく、水をかける様などまさにアナログの世界だ。

一番おかしいのは、冷静な対応!を振りまくのだが、事実の発表が信用されないこと。
事態を小さく見せようと腐心しているのが見え見えで、だから信用されないこと。

原発の『大爆発をさせないために水で冷やす』、『水には大量の放射線や放射能が含まれて、外に大量に出てしまう』のが真相だと思う。
どっちにしても放射能被害から逃れるすべがないのが真相だ。

長野県の住民としては『大量に水を注入して、それが外にあふれ出て』も、『大爆発で、空に放射線や放射能が出る』よりは良いのだが、身勝手すぎるだろうか?

県の記録によれば、『3月15日』には『通常の3倍近い放射線』が『長野の空に舞った』。

takeyamaは69歳だから、『福島県産の野菜には恐怖感はない』が、あいにく『野菜は買って食べる習慣が無い』。野菜は『在るものを、在る時期に食べる』のだから、風潮被害に対応するすべがない。

魚は『腎臓病のたんぱく制限中』だし・・・

この人を抹殺したのは誰だ?

福島原発が大変なことになっている。
こんな緊急事態にこの話題がふさわしいかは議論のあるところだが・・・

この人は実態的に表舞台から抹殺されてしまっている。

地震があったのが11日、それに先駆けた9日付のブログを紹介するのだが、件の人は元福島県知事の佐藤氏。
takeyamaはもちろん面識はない。

検察から収賄の容疑をかけられて裁判中だが、多分冤罪だ(と思う)。
検察捜査のめちゃくちゃ振りが、例の村木裁判で明らかになって、広く国民に知らされるより、ずいぶん前のこと。

高裁で判決が出たのだが、なんとも不思議な判決で、『実質的な利益はないのだが有罪だ!』と言う『こじつけ有罪』で、『実質無罪!』だ(と思う)。

弟の運営する会社の不動産売却が知事に対する利益供与だと訴えられたのだが、『売却の金額は実勢価格と同じ』で、『利益分が無い利益供与だが、収賄だ!』と言う、ある意味非常識(だと思う)なもの。

実質無罪(完全無罪を勝ち取るとしてまだ最高裁で係争中)でも福島県知事はやっていられなかった。

政治的には抹殺されてしまったことになる。
刑事事件は『推定無罪』の原則で、判決が出るまでは無罪だが、政治家は疑われてマスコミにたたかれたら実質はおしまい。
怖い話だ。

佐藤知事が政治的に生き残っていたら、今の福島原発のことはどうなっていたのだろうか?
同じことになっていたかもしれないのだが、氏が『原発行政に発言』し、『権力者や原子力関係者にうとまれていた』ことは事実だ。

今できること、避難受け入れ可能!

大変なことになっていることを実感する。

ガソリンスタンドにはロープが張ってあって入れない。
スーパーのパンやインスタント食品、特に電池は終わっていた。

被災地は『ものすごいこと』で、『何か手伝うことが無いのか?』と思うのだが、下手なことをしても『足手まといになるだけの年代』になっている。

現役世代ではないのだから、争ってガソリン補給の列に割り込むのは不謹慎で、『じっと静かにしていることが一種の社会貢献』だろうと思う。

『今の時期何ができるか?』考えてみたのだが、『山留OBの受け入れ位は可能』だ。
困っている親がいたら相談してほしい。

できる範囲で対応する。

灯油やLPガスの備蓄は十分だし、米やみそ、冷凍だが鹿やイノシシの肉もある。
ちょっと不自由な生活を体験することも長い将来貴重だと思う。

福島から避難してきたらしい人が『ふれあいセンター』に身を寄せたそうだ。

前途ある少年の未来が心配だ。少なからず『放射能放出』の恐れはあるような気がする。

地震

早朝(と言うより深夜)4時前、カミサンの携帯が地震警報をけたたましくならした。
takeyamaのそれはちょっと古いからその機能が無い。
ほどなく揺れた。
昨日の揺れとは体感が違った。

長野県北部震源とか、震度は6強とか報道されたからびっくりした人が多いと思う。

takeyama家に大きな影響はなかった。
通常の生活を続けている。

とりあえず・・

昨日の地震で、関東方面で知人の消息が判らない人が多いのだが・・
一報を寄せてください。当面、生活支援の用意はありますから遠慮なく!

ダイレクトめーる

しばらくぶりに2年間同じ立場にあった者と一緒になった。「気楽になりすぎてボケないかい?」と冷やかされたから「やりたいことがある。棚田を復活したい!」と見得を切った。

以下『保存会への誘い』ダイレクト版
『届いたらよろしく!』

 『まだ雪はありますが、春が近いことを実感しています。
 今年は『わかたの棚田の復活』に取り組むことを新年に宣言しました。
 応援してください。
 わかたは『大町市美麻、大藤と小藤の間、北アルプスの爺が岳から白馬3山が見渡せるところ』にありますが、耕作されていない棚田が多く、長い間荒れ放題になっている『元棚田』もあります。
 以前の棚田風景を復活して、保存したいと思います。
 棚田再生や稲作は『ちょっと古い時代の様式で手作業が主』でなければできません。
 田植、稲刈り、脱穀等はみんなで『ワイワイ』やって、草刈り作業等もイベントにすることもありますが、参加してくれませんか?
 景観や環境を整え、地域や参加者同士の交流が、みんなの元気につながることを願っています。
 次のとおり『わかたの棚田を再生し、保存する会』の会員を募集します。
 参加できる方は、ぜひ連絡してください。
1、運営会員【棚田を再生して経営する会員、たぶん儲からない】
2、オーナー会員【年会費10,000円で、もみ60kgを受け取る会員、コイン精米所で精米すれば白米40kg位になる】。
3、サポーター会員【会の趣旨に賛同し、応援(特に労力)し、イベントなどに参加する会員。会費はいらないが、イベント参加費は必要な場合がある】
4、地権者会員』

連絡先 このブログのメールホーム
保存会HP 美麻wiki内 わかたの棚田再生(保存)会

関東支部 あの山のむこう・棚田プロジェクト

弔辞

○兄!  しもうの、○○だ。
あまりに速いお別れになってしまった。

昨夜、通夜の席で、兄の弟や妹たちとその時代を語った。そして今日お別れの言葉を言う衝動に駆られた。
小さいときから言いなれた『○兄!』で弔辞を述べさせてもらう。

兄はみんなそうだったのだが、正に『赤貧の時代』を生きた。
その時代は、みんな貧しかった。
そしてみんな一生懸命に生きた。

○兄は8人兄弟の長男として生まれた。
生まれたときから弟や妹の行く末を心配する立場だった。そしてその立場を見事に演じ切ったと思う。
そんな責任感のなせる技だと思うのだが、兄は九州の炭鉱で石炭を掘る仕事に出稼ぎをした。藤の協働作業で、とっても『見事なつるはし使い』に見とれたことがある。

そして、その後中電の電気料金を集金する業務をした。
時間を惜しんで業務をこなした。職務の性格上、相手の食事時間に合わせないといけないから、自分の食事の時間を削った。凍りもちをかじりながら業務をこなすことを厭わなかった事は知っている。かなり有名な話だ。
だから会社では相当の実績を上げた。

そんな業務を通じて大北管内の地理に詳しくなって沢山の人にも出会った。
○兄の話は、だからとても具体的でいつも衝撃を受けた。
中電を退職後にはタクシーの運転業務をした。2種の運転免許も持っていたことになる。

どうも○兄の血管は人より太くてまっすぐだったらしい。
『歯に衣を着せない物言い』や、超具体的に行動する姿に『ちょっとした違和感』を感じた人は少なからずいたと思う。
細かい説明をしなかったから、『ちょっとした誤解』を解いていない人もいるはずだ。「○、うまく話しておけ!」という声が聞こえる様な気がする。生きているうちにすればよかったのだが、これからいろいろな機会にそうするつもりだ。

でも、みんな判っている。
○兄が『影も日向もない、表に現れたことがすべて!』だということは。

晩年、○兄は農業に熱心だった。それこそ、山のように大根や白菜、ジャガイモも作った。
『売るでもないのに、2人では食べられないのだから、いらないだろう!』とたびたび揶揄したのだが、そのたびに兄弟の名前が出たし、孫の名前も出た。
人のために百姓をする、そんな振る舞いぶりを許している○○○ねーさんにも感銘を受けた。

70を過ぎてトラクターを買った。「もう百姓を縮小する年になって・・・」と言ったら『規模を拡大するじゃなくて、今の農業を維持するためだ』といわれたから、ちょっと衝撃だった。
つい最近4条植えの田植え機を買ったのだが、それもそんな事情だったのだろう。

近頃、体が弱っている風が見えたのだが、ひたむきに働く姿を目の当たりにして、車の運転もそうなのだが『もうやめろ!』とは言えなかった。
そして、突然姿を消して、『生涯現役!』だったなー。

唯一の遊びはゲートボールだった。
毎週測ったように美遊に出かけた。作戦が大事な競技だから、単刀直入にしゃべるのを本当はひやひやしていた。あんまり大きなトラブルは聞こえてこなかったから、良い仲間に恵まれたのだと思う。
勤勉そのもの人生の唯一の例外がゲートボールで、ある意味微笑ましかった。

○兄が心底心を砕いた家族、孫たちは立派に育った。
孫の成長を願っていたのがよくわかった。みんな立派になった。ひ孫もできた。
ひ孫は、昨夜多くの数字を数えたし、『ひいじいちゃん』などという難しい単語も使った。
もうちょっと生きていたらうれしかっただろうなー、と思う。残念だ。

でも、『ひ孫の子守ができたのだからよかった』と、思わなくていけない。
もう心配はいらない。心安らかに旅立ってほしい。

そうそう、地獄の田んぼは○君が作ると言っている。
安心してほしい。
もう、安らかに眠ってほしい。

新聞に書いてあった!

もう『おふくろが死んで30年以上』過ぎた。

近所の老婆とよく『新聞で見た!』と言って『とんでもない情報!』を伝えてきてびっくりしたことが多かった。

新聞は新聞でも『新聞の広告欄に載った週刊誌の広告に載っていた!』よ言う話。売るための広告だから時に大げさになっていることが多くて、ちょっと『ん?』と言うようなものもあった(と思う)。
まー、芸能ゴシップの類が多かったのだが・・・

週刊誌の記事を『あんまり信用してもまずいのかなー』などとずーと思っていたのだが・・・

最近こんな週刊誌の広告が載った。
2月4日の週刊朝日。

この週刊誌の親会社はもちろん朝日新聞だが・・・
そちらの方はずいぶん感情的な、意図的ではないかと思うほど『政治と金』で『小沢疑惑報道』を連続している。

特に検察機関がする起訴と検察審査会による起訴を同一視して、ことさら強制起訴などと言う言語を作っている。
もう何度も『起訴の性質が全然違うこと』は書いてきた。

罪があることを確信して、有罪を前提として、『罪に問うことが無理なものは起訴しない検察起訴』と、有罪か無罪か判らないが、『裁判で白黒をつけろ!と言う検察審査会の意見による起訴』を同一視して、離党や議員辞職にまであおりたてる論調は理論的には全くおかしい。

純理論的にそんなことを思うtakeyamaにとって、『親会社の新聞より、従来うさん臭いとしてきた週刊誌の記事の方が信用できる』のではないか?などと思う。
もちろん購入して読んだのだが、記事には納得した。
このことに関しては『朝日新聞より週刊朝日の方に軍配を上げる』takeyamaで、そんなことを感じ始めると、『新聞やテレビの報道をそのまま信じていいのか?』と最近時に思う。

『死んだおふくろの思い出』から感じたことなのだが、『感じたことを、そのまま口にする素直な人』だったから面白い言語があって、どうも近眼だったようで、ある時takeyamaの眼鏡をかけてテレビを見て、よく見えることを感じたらしいのだが、『ホーホー、こんなによく見える!』と同意を求めてきたのには参った。

ひょんなことから思い出した『おふくろの思い出』

松の内

正月が終わった。
お年取りに『年神様として松を飾る』ことはもう何回も書いてある。

松に神様が降りてきて、年神様になるという。
その目印に門松を置く。

そしてそれがある間を『松の内』と言っている。つまり、その間が正月だというわけ。

一番叮嚀なのは15日までだったが、今は7日までが『正月』だ。
そして、7日に年神様が役目を終えて、その区切りが『おんべ』であり、『どんどやき』や『さんくろう』とも言う。
3日の夜までに『年神様をはずして、おんべをする地区が増えた』から頑固に伝統を踏襲して、『7日におんべをする』藤の方が珍しいのかもしれない。

年神様がいる間、基本的には正月に間、家を空けるようなことはしないし、仕事の類をすることもない。

takeyamaは以前役場の職員だったのだが、暮れにはまだ世間が『締めくくりのかきいれ時の28日』に仕事納めをして、新年4日が仕事始めだったが、まだ世間が動いていないから7日過ぎまではたいした用事が無く、儀礼的なあいさつに関係者が訪れるだけだったような記憶だけ。

マー当時は世間の景気が良くて、公務員の待遇がそれほどではなかったこともあって、住民は今より公務員に対して優しかったから、松の内は正月気分でまともな仕事はなかった。

そんな『正月の伝統の体験者』としては今年はちょっと『たまげた!』
学校の始業式が7日、市役所始め公務は確かに始まっているが、『松の内』だし、しかも8日以降は3連休だ。

『もう1日遅れればいいのに!』と思った。
特に山留生は気の毒。
ちょっと工夫すれば3~4日も休みが伸びる。

長い休み明けは『子供は1週間持たない!』から、すぐ休みになってもそうするのだと先生に聞いたことがある。
真偽のことは不明だが、『学校管理の視点』はあっても、『子供のことに配慮が無い』と思うのはtakeyamaだけでしょうか?

『松の内』のような『伝統』を通じて、『1年のけじめ』を通じて、子供は人間として成長することもあると思うのだが・・・ 

本当に弁護士資格があるのだろうか?

農学校を卒業した者が、東大を出て、現役中に司法試験に受かって、弁護士資格のある者に『いちゃもん』をつけるのは相当おこがましいのだが・・

夕方のテレビを見ていて驚愕した。
政治家は自分の都合で発言することは知っているつもりだが、菅総理のような、いわゆる市民運動家出身者がマー適当なことを言うのには『軽蔑の笑い』を浮かべるだけだが、弁護士資格のある仙谷官房長官(しかも法務大臣を兼務している)の発言にびっくりした。

例の『小沢政治資金規正法違反(の疑い)事件』について、強制起訴された場合は議員辞職すべきだというようなことを言った。
しかも『過去の例に照らして・・・』ともっともらしい理由で・・

前に『検察審査会による起訴』で触れたのだが、起訴の段階ではそもそも犯罪ではないのだが、検察審査会の結論を受けての起訴は通常のものとは大きく違う。

起訴は『裁判で判断してもらいたい!』と言うのが検察審査会の意見だ。

以下その時の意見(原文抜粋)
「検察審査会の制度は、有罪の可能性があるのに検察官だけの判断で有罪になる高度の見込みがないと思って起訴しないのは不当であり、国民は裁判所によって本当に無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利があるという考えに基づくものだ。そして嫌疑不十分として検察官が起訴をちゅうちょした場合に、いわば"国民の責任において、公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけようとする制度であると考えられる」。

この意見を、意図的に『普通の起訴と一緒』として国民に向けて発信するのは、ことを政治的に利用することで、とても法を守る専門家の言うこととは思えない。
弁護士の発言としてはおかしい(と思う)。

法律の素人が『国民感情!』に基づいてする発言を『法と証拠によって判断するように!』主導していくのが弁護士など法律家の役目ではないのか?
マー弁護士という職種を『単なる利益代弁者』としてとらえ、『法律を斜め読み』して『自己に有利なようにしていく職種』だととらえれば考えれば納得できるのだが、あまりにさびしい。

こんなことを感じる『仙谷発言』だ。
法務大臣の立場で政敵を葬る行為は民主主義の破壊行為だ。

そもそも憲法で保障した『3権分立』に逆らう『検察審査会制度』ではないか?
小沢起訴に先駆けた『行政不服審査』の訴えが、裁判所でいわば『門前払い』された。
だから行政措置ではないことになる。
そうだとすれば、いわば『司法機関が司法の場に訴える』ことになるわけで、中学校で教わった『3権分立』はどうなったのか?

『中学の公民』で民主主義を論ずるtakeyamaが変なのか?

風習の継続

お年とり(12月31日)をして、71歳になった。と言っても数え年での話だが。
数え年では生まれると1歳で、その年の12月31日が『お年取りの日』だから、それで年齢がひとつ増える。
だから満年齢とは最大2歳違うことになる。

今年のお年取りは産土様の『おこもり』で過ごした。

年末年始に神社の2年参りに対応して、神社関係者が神社に詰めることは各地にある。
神社総代(役員)が多くの場合対応する。
藤井神社(産土様)の場合はそれとは大いに違って、氏子の半分ずつがお宮に一晩中詰める。

だから住民全員(世帯1人)元旦の朝2年に1度は家にいないことになる。
地域の高齢化が進んで、5年くらい前から『順番に4人づつの当番制』になった。4年に1度位に負担は減った。
今年はその当番年だから、久しぶりに布団に電気毛布を忍ばせて、神社に出向いた。

今年の相棒は『藤で生まれて、育って、婿さんを迎えた生粋の藤人』だから、昔からの風習に話が及んだ。

お籠りは『中学校卒業から我が家ではtakeyama』が担当したから、もう50年を超えるのだが、当時とは大違いに環境がよくなった。

隙間のある床に茣蓙を敷いて、表に戸はなく吹きさらし、暖房は大きな囲炉裏だけで、一晩中火を焚いた。
火の粉が飛んで、布団の煙で目が覚めたなどいう笑ってしまう話もあった。
それでも当時は皆元気で、お神酒を飲んで夜を明かし、花札やトランプをして過ごした。
家では威厳のある家長を演出していても、たまにはハメをはずしたいこともある。
そんな機会だったかもしれない。

今は正面はアルミのガラス戸、床は絨毯、温度設定したストーブで、電気シーツ入りの布団で上着を脱いで、靴下もはかないですごせる。

そんな中で、相棒の婆さんと風習談義をした。
相手は地域で生まれ育って、婿養子を迎えた身だから過去の風習に詳しい。

藤には、1月1日には『お酒を飲まない!』『餅を食べない!』習慣がある。
いつからなのか?何でなのか?
昭和12年の大火以前からあったとのこと。
なんでも地域に疫痢(赤痢)が流行って、藤にそれを入れないために『産土様に願をかけた』のだという。

科学や医学の進歩がなかった時代のことで、神様にすがって、いわばその代償で、『楽しいことを我慢』することとして『元旦の酒と餅を絶ち』、『苦労をすること』をいとわないことを示すのに『寒空の神社のお籠り』を選択した。

その効果はともかく、よく集落一致して行動できたものだと思う。
そんなことを通じて『集落の団結』は保たれ、周囲が認める『まとまりのある藤地区の評価』を得てきたと思う。

近頃そんな風習の継続が怪しい。
『形だけつながって』はきたのだが、その意義を認めていない者が増えたし、その意味することを子孫に語り継ぐ大人も少なくなってきた。
嫁さんは地域外から嫁ぐし、アイターン者に積極的に風習を押しつけるものはいない。

それでも、地域固有の文化は、後世につなげて行きたいものだ。

という状況で、こんな投書が目についた。
正月の風習
実はtakeyama家にも似たような風習があった。

祖父は相当な頑固者で『囲炉裏の横座(正面の上等席)をいつも確保』していた。
当時調理する火力は囲炉裏が主体だったのだが、元旦(朝)にはそこをしっかり掃き清め、一番先に点火する役目は家長である祖父の役目だった。
そして『いつかお前の番になる』と、いい聞かされてきた。

今はガスや電気のスイッチを入れるだけだから、いつの間にかその風習もなくなって、寝正月を決め込んで連れ合いにに起こされる始末だ。
親父はマーそれをひきついたが、takeyamaはその経験はない。

そんな身分では『地域の風習消滅を嘆く資格』はないのかもしれない。

結婚してもう40年近いが、12月6日に結婚して、もうその年取りの夜に『お籠りで家を空け』、『1月1日にお屠蘇はしない』、『1年のけじめはどうつけるの?』と連れ合いにあきれられ、変なところに嫁いだものだ!とあきれられた思い出がある。

謹賀新年

年賀のあいさつが遅くなりました。

年賀状を公開
23年賀

今日の岳山に新春分を追加、山小屋ではなくて自宅の2階です。

5反幟

2年間務めた自治会の責任者の立場が終わる。
変な話だが、就任初日2年前1月1日、青具神明社の新年祭に招かれたのが仕事始め。
もちろん本来の業務ではなくいわば来賓だが。

氏子総代の会議に招かれてこれで神社との関係は終わり。
takeyama家の産土様ではないが、2年間付き合ったので『ちょっと神社に関係のあることを調べた結果』をこちらの『美麻wiki』に投稿した。

ご笑覧ください。

復活

雪が降った。
なんとなく空気が暖かいからまだ根雪にはならないと思うが、農作業はもう終わりかな?

『頑張って』と言うか、『勝手にプロジェクトを立ち上げた者』に『あおられて棚田の再生』に取り組んできたのだが、来年8畝ほどが再生できる目処はついた。
前から作っている分と、今年復活した分を合わせて1反3畝ほどになる。

援農隊は、エンジン草刈り機を仕入れたり、靴や服装が百姓らしくなったし、農具も揃えて、何といっても草刈りに相当意欲的だから『戦力になりそう』だし、だから『あおられた感じ』もある。

今の稲作はほとんど機械が主力だが、棚田はそんなわけにはいかない。
人力に相当頼らなくてはいけない。
まーちょっとした不安はあるのだが何とかしたい気分。

とは言え、持病と体力に自信が持てないから、ちょっと『公の部分を大きく』しないと『持続可能』が怪しいから、そんなことがあって『美麻wikiの方に棚田のページ』を作った。

今後は棚田に関してはそちらで情報発信することになる。
ワープロの感覚でwikiには参加できるからそちらに参加してほしい。

水道料金は同一になるか?

公営簡易水道特別会計
○ 可能な限り早い時期での上水道との料金統一に向け、努力されたい。


もっと早く反応しなければ失礼だった。

市議会の広報誌(議会だより)が10月15日に発行され、3ページに9月議会の決算審査の様子が掲載されている(冒頭の表現)。

簡易水道会計はもちろん承認されたのだが、その審査に際しての議会としての意見が載っている。
と言っても『議会としてのまとまった意見』なのか、『審査の際、議員の誰かが言ったもの』を単に紹介したものなのかはわからない。

まだ議事録は公開されていないから、録画されたもので確認するには相当の手間がかかる。
マー、議会報で公開されたのだから『議会の公式見解』だと思って、心底『よかった!』と思う。
と言っても、まだ『扉に手がかかったにすぎない』のかな?

合併後5年になる。

なんせ『水と言うライフラインの最たるものの料金』が『市民同一でないことはよくない!』と思って、合併前から発言したり行動してきた。

このブログで試しに『水道料金』で検索すれば相当の記事に触れるはずだ。

合併の協議が『損得論』に集約されて、ことの本質に迫れなかったことが始まりだが、『過ちをあらたむるにはばかることなかれ!』と言うことにはならなかった。
合併前の村の条例改正を議員提案したこともあるが、今考えると『えらい元気だった!』ものだ。

新市民になって、市長との行政懇談会で無謀にも論戦を挑んで返り討ちになったこともあるし、地域づくり委員会で市長に対し意見書を提出することにも奮闘した(つもり)。

市長や市役所には疎ましかったと思うのだが、市の議会に直接働きかけたことはない。
議会で話題に上ったことはあるが、takeyamaからのルートではない。
マー最近はあきらめムードでしらけていた。

ずいぶん古い記事にアクセスがあって『ん?』となって、遅まきながら議会だよりの記事に気がついた。

取り上げるのが遅くなって失礼した。

行政の関係者は今もって『損得論』を持ち出す。
水供給等は『供給業者的な立場』でものを考えるのではなく、『住民への福祉や公正公平』を基盤にしなければおかしい。
議会の意見を踏まえて、23年度当初からでも対応すべきだ。

『単なる能吏』か?『政治家』か?が問われる。

長い投稿を最後まで読んでいただいてありがとうございました。
気がついたと思いますが、このブログは前身のブログを乗り換えたものです。
大きなライブドア事件と言うのがあり、ブログサービス(無料の)が『ある日突然亡くなるのではないか?』の恐怖におびえて今のものに乗り換えたのです。
心配は杞憂に終わ、今もサービスされています。
当時のものはライブドア版の方が読みやすいかな?と思ってそちらにリンクしておきましたがどうでしょうか?

笑えない、笑ってしまう話題(2)

笑えない、笑ってしまう話題で続編を約束した。

まず事件?の位置関係

2年ほど前にも鹿が悠々と闊歩していたところでもある。
熊が出た
黒丸の栗に登っていた。

第1発見者は手前の畑で作業していた。
件の栗園の周りは動けなくなる年齢を見越して山菜園を造成?中。
タラの芽やこしあぶら、行者ニンニク、マイタケ、もみじがさ、アスパラなどを増やしている。
自分で手入れしないと山の味覚が口に入らない時代になっている。

さて本論だが、人家は遠くない。
マー人によって危険を感ずる程度は違いがあると思うのだが、takeyamaは『危険度は相当高い』とまず思ったから『駆除!』のゴーサインはすぐに出ると思った。

警察の関係者は集落の入り口を封鎖し、住民には『家に入れ!』と指示した位だから、相当の危険度を認めていたはず。

無策のまま逃走されたら住民は相当不安な生活を強いられる。
だから住民はこぞって駆除を要請したことはすでに書いた。

銃を扱う者は現場にいてゴーサインさえ出ればすぐに対応するのだが、それがでない。
『麻酔銃で眠らせて山に帰す1』方向で動いている。
その担当、大学の研究者らしいがは早くて4時30分くらいの到着だそうだ。

ちょっと頭にきて、『誰かけがをしないと事態は動かない!けがをしたらどうだ!』位の暴言を吐いた。

それにしても『もう栗はなっていなはずだが?』
そして、『木の下設置した罠にかかったのかも?』と気がついた。

親子3頭連れだが、親か?子か?
どうも親の方が『錯誤捕獲』されたらいことhが判って現場はちょっと落ち着いた。

担当者はいわく、『錯誤捕獲は放獣が原則!』とのたまう。熊に予定を聞いたわけではないのだが、あの家の軒先においてあるかぼちゃを目当てに来た熊を手前の罠で阻止したと評価するのが地元の住民やtakeyamaの思い。

相当の意識のずれを感じた。
カチンときたのが『熊の保護団体やマスメディアがうるさいから麻酔銃で放獣!』とのたまう行政マン。
自分を安全圏において他者のせいにする態度。
電話がうるさくて困るとしきりに強調する。

『住民の安全確保』のために断固『それらの矢面に立つ気概』を示さないこと。

その夜の自治会の会合でそのことを論議した際、『それなら今度はみんなで住民の安全を守れとみんなで電話するか?』と提案した者がいた。
『物理的な抵抗を示せばいい!』という発言が現実味を帯びた。でも『住民は怒っても態度には示さない』
それに安住してはいけない。

そして5時くらいになって、あたりが暗くなって、物々しい人工の明かりがついて、懐中電灯で麻酔銃を撃って、暗闇を小熊を追ったのだが、当然1頭の行方は分からなくなった。

そんなに甘く見てはいけない。
網を持ち出して『小熊を捕まえろ!』と切り出されたから、即座に『お断りした』のだが、『小熊という言葉のイメージ』に踊らされるつもりはない。

後日談2題

『どこに放獣した?』と聞いたのだが、『どこにしたかは言えない!』『大町市内の国立公園内』と答えた。
そんなことを秘密にする意味が判らない。
何かくるっている!(と思う)。
2~3日後『居谷里で親子づれ目撃!』の情報が流れた事を聞いた住民は曰く『中山にでも放ったかい?』と悪口。

『錯誤捕獲』と言うのだそうだ。
『熊の捕獲は基本的に許可制』のことは前に書いた。
だから『罠にかかってしまったのは錯誤』で、『捕獲を目的に罠を仕掛けることはできない』のだから、『間違って罠にかかってしまったのだから放してやるのがスジ』だそうだ。
『人間への危険性!』への判断が『その後の対処』に影響するべきだと思うのだが・・・

そこでその罠を仕掛けたtakeyamaの責任問題だが・・・
その立場をtakeyama流に・・・

もちろん当日の予定を熊にインタビューはしてないのだが、その先50メートルの『農家の庭先に置いてあるかぼちゃ』を目当てに、軒先の『柿の木』を目指した、農家の『2階のミツバチの巣』を狙ったのだが、運悪く罠に阻止されたのではないか?と言うのが事実だと思うtakeyama。

前のブログで、『みなさん!私のためにご迷惑をかけてすみません!』が言えなかった理由がこんなところにあったことは表明しておかなければいけない。

行政機関や警察関係からの『おとがめはなかった』のだが、『50人を超える人間』の『半日分の人件費負担を求められたらどうしよう?』

大勢で見張りをしている目の前で栗の枝がぼりぼりおられた。
木の管理者としてはなんともいえない気分。
これで何年か栗の収穫は見込めない。
マー木自体が枯れてしまうことはないとは思うのだが。無残

続編を書くことを予告しながらずいぶん長く書きこめなかった。
下書きの状態で長い期間が過ぎたのだが、辛口のコメントを記す時に関係者の顔が浮かんでくる。
『公開にためらいが生まれる』こともある。
あまり気分がすぐれるとは言えない。

笑えない、笑ってしまう話題

なんとも納得できない。

本当は『大勢の方に迷惑をおかけしてすみません!』と言うべきなのかな?と言うことなのだが・・・

今日、藤地区は過ってないほどの人が集まったし、車も集まって実にものものしい騒ぎになった。

県の役人、市役所の2部門、支所の職員、警察は大町警察署を超えて県警レベルだったかもしれない。
マスコミも来たし、パトカーが集落の入り口をふさいだ。

まー『ほとんどが勤め人だから、給料の額を合わせたらどんなになるのだろう?』と考えたらうすら寒くなった。

事件の経過・・・
昼前、連れ合いが息せき切って迎えに来た。

『自分の家の栗の木に熊が登っている。親子連れだ!』
そこは集落のそば、近い家は直線50メートル位だ。

すぐに『危険だ!狩猟者に依頼してすぐに駆除だ!』と思ったから連絡したのだが・・・

ことはそんなに簡単ではなかった。
それから延々、暗くなるまで対応に追われることになる。

大町市は今『熊の警戒警報』を『他市に先がけて出している!』と自慢?している。
事件の場所は判りやすい写真などをあすにもアップしたいが、『藤井神社の南』と言う表現を『○家の西40メートル』と支所の職員に訂正させた。
危険の度合いの判断材料に違いがある。

狩猟者で有害鳥獣駆除を得意とする者は、当然『お役所担当者のゴーサイン』がほしい。
獣の駆除は『超危険性がある場合』を除いて、基本的に許可制。
危険の程度の判断は人によってずいぶん違う。

昨日、近くの村では出現した親子連れを射殺したらしい。

マスコミや自然保護者?達の反響が『ものすごかった』らしくて、お役人は完全なビビり状態。

『地域の人間』は全員、「駆除してください!」と要請したのだが・・・

市役所や県の役人は『直接の影響はなく無関係でも、自然保護者は怖い』からなのかそちらのは配慮しても『危険を訴える地域の住民の声』を聞き取るつもりは、全くない。

まー『お祭り騒ぎ!』をはやし立てるだけ(と感じた)。
警察も遠巻きにして集落の入り口をふさぐのだが中に住んでいる人間はどうするのか・・
笑ってしまう、笑えない状況。

集落の反対側、下側(西側)は主要地方道長野大町線がすぐ。
『追い払うべきだ!』と言うような流れ。
ロケット花火?
熊追い払いイベント?

笑えない、でも笑ってしまう状況。

だが様子がおかしい・・・

続きはあす・・

棚田の顛末 本物の赤飯

『顛末』と言うほど物事が終息を迎えたということではないが・・・

ここ何年か『からかってきた』のだが、この春棚田をちょっと復活した。

豊富な経験則?で、畑から水田化1年目は過肥料になることは判っていたから無肥料で作付けしたのだが、栄養成長は十分だった。

それでも肥料分が遅効きして、なかなか黄金色というわけにはいかなかった。
もっともお節句(6月5日)が田植えで、4~50年前の田植え時期と一緒だから、ここらあたりの通常の田植えよりひと月くらい遅い。
作付けしたのは古代米で、もち米の一種で、しかも相当の晩生種(おくて)。
ひやひやしたが、マーそれでも稔った。

このブログ美麻wiki他にも書き込みがあるのだが、次年度は系統だってアップしようと思ってはいる。

とにかくモミにはなったから希望者には譲り渡そうと思うから、案内を右上にアップした。

古代?神前に供えたご飯は赤かった。
いわば『だから赤飯』で、コメの品種が改良され、米が白米になってしまったから『過っての神前米のイミテーション』を作るために、今は『小豆を入れ、イロを追加して』赤飯にする。

だから、『古代米の赤飯は、いわば本物の赤飯』

子供たちの成長に合わせて、節目には『本物の赤飯』でお祝いしたらどうだろうか?

今日の岳山

29日、『翌日には台風が来るか?』と報道された。

夕方、『かみさん』が『ちょっと!すごい夕焼けだよ!』と告げた。
『一瞬の晴れ間』に『真っ赤に染まった夕焼け』があった。

『もう2分ほど前』の方が好かったのだが、『今日の岳山』にアップしたのをご覧ください。

自己中心

地区の文化祭が終わって1週間たつ。
書かないでおこうかな?とも思ったのだが・・・

去年の文化祭とは違って他のイベントとは切り離されて実施されたから地域の住民にとっては落ち着いたものになった。

毎年芸能や文化活動に取り組む住民に感心するのだが、ちょっと気になったことを・・・

『自由と平等』は民主主義の基本だが、せんじつめて考えればこの二つを極めることはできない理屈で、片方を突き詰めればもう一方はできないことになる。

同じようなことが『義理と人情』にも言えて、『義理』を突き詰めれば『人情』がおろそかになる。
その反対もしかりで、改めて説明する必要もないと思う。

そこで両方とも配慮しないとどうなるか?

芸能や文化活動は『自己啓発』活動で、一方それを『他人に認められる』こと目的にしている面もある。
そんなことで年に1回の発表の場にはそれぞれ『力(りき)が入る』

主催者も高齢者学級などをセットして『それなりの観客数を確保』する。
そんな配慮を『知るや知らずや』
自分たちの『出番にだけ会場に来て、終わればさっさと帰る』そんな人(団体)が如何にも多い。

『自分の活動の価値は認めるのだが、他人の活動の価値は認めない』そんな人が多くなった。
気になるのは『少年たちや、その親や、取り巻きにその傾向が顕著なこと』
教育に関係する大人は注意した方がいい。
どんどん『自己中』の人間を増やしていることに気がつかなければいけない。

『あなたを見たい!』と言う人より『義理で見て』いたり『思いやり(人情)で観客』になる人が相当数いることを感じた方がいい。
『見ていただいてありがとう!』と思えば他人の活動にも『義理や人情』が生まれるはずだ。

名指しは控えるのだが、ちょっと遅れて見学しようと家を出たtakeyamaの前を、すでに帰っていく団体のマイクロバスがあった。
『え?』と『もう終わったのかな?』と会場に着いたら、会は佳境に入っていた。
『他人の活動を見向きをしない行動』を続けて、『自分の活動を理解応援してください!』は『いかにも独りよがり』だ。

かといって、『相手に直接意見を述べる元気はない!』のがtakeyamaの『いい加減さ!』だが・・・

マーこのブログが『自己中』そのものなのは認めているつもり。

水上神社

ちょっと『ショック!』なことがあった。

水上神社は『みずかみ神社』であって、『みなかみ神社』ではない(と思う)。
『産土神社たる水上神社を崇敬する氏子』の皆さんはどんな感じをしたのだろうか?

明治時代から戦後まで『藤の産土様(藤井神社)』が水上神社に合祀されていたことがあって、そんないきさつは美麻wikiに記録させてもらっている。
そんなことでまんざら無関心ではいられない。

24日は地域の文化祭で、中学生の研究成果が張り出されていた。

中学生が地域に関心を持つことは大変いいことなのだが、「水上神社は『みなかみ神社』です!」というのには参った。

『出典基』が判らないので『軽々には言えない』のだが、『産土様の世界』は、マー『宗教と言うよりは、民俗や風習の世界』であり、この場合、その名称の類は『土地でいい慣わされている呼称』が『正式なもの』であるはずだ。
『出典基が宮司でない』ことは確認できた。
宮司が困っていた。

前に『青具』は『(あおぐ)ではなくて(あおく)であることを書いたことがある
地域の固有の歴史や文化につながることを勝手に変えてはいけない。

ウインドーズの言語では『あおぐ』と入力しないと『青具』にはならないのだが、takeyamaのコンピューターは『あおく』と入力すれば『青具』に変換するようにしてある。

『水上』を『みなかみ』と読むことも知っているし、『みなかみ温泉』のことも、高名な小説家があることも知ってはいるが、『水上神社』はやはり『みずかみ神社』であるべきだ(と思った)。

本来学校の方に直接伝えた方がいい(と思う)のだが、takeyamaにして『ちょっと気遅れ』するのでこのブログで『遠吠え』で『お茶を濁して』おく。
どなたか『中学校に伝えてくれないか?』なー・・

ついでにいえば、『静の桜(しずかのさくら)』に関して、『歴史と民話の境目』がちょっと気になった。
民話と歴史が一緒になっては困る。

とかく『近頃の少年少女』達は、『霊』とか『超能力』の世界に『はまりやすい』傾向がある(と思う)。
だから、周囲の大人は『注意・注目』して行かなければいけない。

『架空の物語』が『実際に有ったこと』と混同されてはいないと思うのだが・・・
ちょっと気になる。

分を超えたこと

このブログの本質を外れたような記事を書きこむことが増えてしまった。

この辺でこのブログの能力を超えてしまったような記事を整理しておこうと思った。

『分を超えたこと』のカテゴリーを追加して整理した。
歳を重ねて思考の幅が狭くなったかもしれない。
本人は『正義』だと思って書きこむのだが・・・

追加したカテゴリーはtakeyamaの能力を超えた部分です。独自の取材能力があるわけではなく、マスコミの情報をネットなど参考に自分で考えて書きこんだもので、その辺を承知して読んでください。

起訴イコール有罪ではない

前に検察審査会の決定による起訴は従来の『起訴の概念』とは違うことを検察審査会による起訴のブログで話題にしたことがある。

その『趣旨を判ってくれた?らしい』朝日新聞の社説が出た。
昨日話題にした。
社説はこちら(10月15日)だが、いずれweb上からはなくなってしまうから全文をアップしておく。

検察審査会―無用の疑念防ぐ工夫を
 小沢一郎氏に対する強制起訴の議決を受けて、民主党内などから検察審査会の審査のあり方や制度そのものに対する疑問や批判が出ている。

 無作為に選ばれた市民でつくる審査会が「起訴すべきだ」と2度続けて判断した場合、強制的に起訴となる。この制度は、国民の司法参加を進める方策として昨年5月に始まった。

 これについて、朝日新聞は次のような主張や提案をしてきた。

 ▽検察の起訴のありようを市民の立場からチェックする意義は大きい。

 ▽一方で、議決の理由を見ると、結論に至る過程がわかりにくいものや、感情が先走り気味の記述もある。審査会には、権限の重さを踏まえた判断と説明責任が求められる。補助する弁護士や事務局の力量向上が必要だ。

 ▽社会も「起訴イコール有罪」という見方を改める必要がある――。

 こうした立場に変わりはない。

 「専門家である検察の判断を素人がひっくり返すのはおかしい」という声が今回も聞かれる。だが、専門家の判断が、主権者である国民の良識や感覚に照らしてうなずけるかどうかを点検するのが制度の目的だ。「素人は危うい」との考えを突き詰めれば、民主主義の否定になりかねない。

 一方で、審査会側の対応に問題がないわけではない。

 小沢氏の例では、議決日が民主党の代表選当日、議決書の公表はその約3週間後だったため、様々な憶測を呼んだ。関係者によると、日にちが重なったのは偶然で、議決書の作成と確認に一定の時間がかかったという。

 こうしたことは事務局がきちんと説明するべきではないか。審査の回数、日時など外形的事実も隠す必要はないはずだ。任期終了後、本人が同意すれば審査員が会見し、評議の秘密に触れぬ範囲で感想を語る機会を設けることなども、今後の検討課題だろう。

 審査の中身に対する批判には、議決の内容を充実させることで応えるしかないし、判断の当否は公開の法廷で争われる。そうした核心部分とは違う、事務運営などをめぐる疑念には、事務局の人事や予算を担当する裁判所が対応して解消に努めるのが筋だ。

 立法段階で見送られたものの、この1年余の経験を踏まえて考えるべき点もある。例えば、強制起訴の議決をする際には、起訴を申し立てられている側に意見を述べる機会を与えるようにしてはどうか。審査の公正を担保し、制度への理解も進むだろう。

 検察官にかわって起訴手続きをとる弁護士や補助弁護士の推薦にあたる各地の弁護士会にも、適切な人選と候補者の育成を求めたい。

 せっかく生み出した制度だ。改革の針を逆戻りさせず、育てるための議論を深めなければならない。


 『社説』と言うのは単なる記事ではなく、社を代表する意見だから大マスコミ朝日新聞の社としての取材姿勢でなければならない。
 この『社説』については評価するべきことがある。
でも過去の記事の姿勢や特に社説との齟齬を説明してもらわなくてはいけない。

10月5日付の社説は次のとおりだった。
もうwebにはアップされていないので『某ブログから拝借』した。

『小沢氏起訴へ―自ら議員辞職の決断を 
小沢一郎・元民主党代表は今こそ、自ら議員辞職を決断すべきである。

 小沢氏の資金管理団体の土地取引事件で、東京第五検察審査会は、小沢氏を政治資金規正法違反の罪で起訴すべきだと議決した。

 この20年近く、常に政治変動の中心にいた小沢氏は、近い将来、検察官役を務める弁護士によって起訴され、法廷で有罪・無罪を争うことになる。

 審査会は議決の要旨で、秘書に任せており一切かかわっていないとする小沢氏の説明について、「到底信用することができない」と述べた。

 疑惑発覚後、世の中の疑問に正面から答えようとせず、知らぬ存ぜぬで正面突破しようとした小沢氏の思惑は、まさに「世の中」の代表である審査員によって退けられたといえよう。

 今回の議決は、検察が不起訴とした事件について国民は裁判所の判断を仰ぐ「権利」があると書くなど、制度の趣旨に照らして首をかしげる部分も見受けられる。だが、検察官から起訴に踏み切る際の基準について説明を受けたうえで、その基準に照らしても不起訴処分はうなずけないと結論づけた。その判断を重く受け止めたい。

 いったんは検察が不起訴とした事件であり、公判がどのように推移するかは予断を許さない。

 小沢氏は先月の民主党代表選の際、強制起訴されても「離党したり、(議員)辞職したりする必要はない」と語った。確かに有罪が確定しない限り、「推定無罪」の原則が働く。

 しかし、そのことと、政治的な責任とはまったく別問題である。

 小沢氏は党幹事長だった6月、当時の鳩山由紀夫首相とともに、政治とカネの問題の責任を取り「ダブル辞任」した。刑事責任の有無は別にして、「クリーンな政治を取り戻す」(鳩山氏)ためには、それが避けられないという判断だったはずである。

 わずか3カ月後に代表選に出馬し、民意の厳しい批判にさらされたのは、政治責任に対する小沢氏のいい加減な姿勢が問われたからにほかならない。

 小沢氏が今回、けじめをつけなければ、政権交代に「新しい政治」を期待した有権者を再び裏切ることになる。

 離党したとしても「数の力」で党外から影響力をふるうなら同じことだ。

 小沢氏の師、田中角栄元首相はロッキード事件で逮捕され離党した後も、「闇将軍」として大きな権力をふるった。師の轍(てつ)を踏んではならない。

 小沢氏は政治改革の主唱者の一人でありつつ、「古い政治」の典型的な体現者でもあるという二面性を持つ。ただ、民主党を鍛え、政権交代を実現させた功労者であることは間違いない。

 であればこそ、その業績の歴史的意義をこれ以上損なわないためにも、ここは身を引くべきである。』


社説を読んで、検察審査会起訴の狙い、議決の内容が『裁判で白黒をつけるべきだ!』と言う部分を読み飛ばして、従来の思い込みから来る『ずいぶん感情的な社説だなー』と思った。

だが、こんな姿勢を『今後転換するのであれば歓迎』だ。

しかしその姿勢は胡散臭い。それは今回の社説のこの一節
『・・・主張や提案をしてきた。・・・こうした立場に変わりはない。』10日前の社説と今回の社説が同じ立場だとするとこの言論機関の論調はなんだ!
何のことだかが判らない。
ちょっと格好は悪いが、過ちを改めるのは恥ずかしいことではない。
思い切って過去の姿勢を反省し、『社説は誤りだった!』と発言しないと、この新聞の信頼は回復しない。

新聞は『中学2年生レベルの学力、感性』で作るべきだと聞いたことがある。

『説明責任!』といつも言う以上、わかりやすくしっかり説明してほしい。
今日の岳山
今年の目標、復活再生を、雪の下で待つ『わかたの棚田』,11:2:2
11;2わかたの棚田  23年新春 自宅2階から山小屋風 1月3日朝 山小屋?  夕焼け(22;10:29)庭から鹿島槍を 夕焼け 鹿島夕日
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トラクターは退職金で買った。
年金で肥料を買うが、職業は農業(のつもり)。

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