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今年の分は終わり

3月1日、布団などの荷物を軽トラックに載せて、農家を引き上げてセンターに入って今年の山村留学は終わり。
心なし『はしゃぎ気味』なのが癪。

年の初めに『個人情報の流失は困る』と『元請けにくぎを刺された』こともあって子どもたちの様子をアップすることはほとんどなかった。
いきおい『昔の子どもたちの様子を書いただけ』になって面白くないブログになったと思う。

例年のことだが、車に乗る前にきちんと整列して「いろいろ迷惑をかけたがありがとうございました!」と挨拶して、いろいろ書いてある色紙をおくってくれた。
例年のことだが、今年も「怒られた!」と書いてある。もちろんそれを肯定的には書いてあるのだが。

あと2週間余り、何かを感じて修園してほしい。



ちょっとした昔話

地域の教育力を高めるには『大所高所から』と『自分の子供から』の方向との『2方向』があることを話題にして、そのことが生んだ『ちょっとした昔話』があることを示唆した

山村留学は今の義務教育制度・学校教育法をちょっと斜め読みして成立している。
法律は児童生徒に教育が義務であることを示しているのではなく、その保護者の方に子供の教育を義務づけているのだから、当然保護者の住所地を管理する地方自治体にそれを取り仕切ることをゆだねている。
ちょっと斜め読みして、児童生徒だけに住所があるものの面倒をみるのが山村留学だ。
出発そのものに「まーまー」の部分がある位だから、山村留学に明確な制度としての規定がない。
だから何でも山村留学と言えることは美麻wikiにも書いてある。

昭和が平成になろうとしていた頃のこと。
相当あやしい団体(個人の性格が強かった!)が村(教育委員会)に山村留学だと言って売り込んで来て、児童生徒数が減っていることに神経をとがらせていた教育委員会は、無批判にそれに飛びついた。

その組織は東京都内の電柱に「不登校児来たれ!」「肥満児来たれ!」「地元教育委員会は歓迎している」と言うチラシをはった。

村の子供の親は相当びっくりしたし、とても不安だった。

当時村役場の職員だがPTA会員でもあったtakeyamaは、総会の席でそんなことを話題にして批判し、総会だったから村議会議員を含む村の関係者が大勢来賓として来ていたのだが、会員に対して「みんな注意しよう!大勢来賓はいるが、身内に児童や生徒がいるものはいない!」と発言した。
そんな『山村留学まがいのもの』の導入に、PTA側には何の話もなく進めようとしていた姿勢を批判したものだ。

いたく自尊心を傷けられた議員がいて、村長に報告があったようで、翌日村長室に呼び出された。
『村の職員が村の政策に逆らうとは何事だ!』と叱責されたから、『児童生徒の関係者抜きの政策決定はおかしい!』『職員でも村民としての意見はあっていいはずだ!』と論争した。

任命権者たる村長は『厳重注意処分』にするとtakeyamaに告げた。
もちろん単に口頭だけ。
公務員の懲戒処分は『戒告処分』が最低であり、その下の『厳重注意は正式な処分ではない』のだが、第3者には『処分した!』と報告できる。
処分された(?)当のtakeyamaにとっては、正式なものではないのだから『処分はされていない』ということになる。
だから『処分されたわけではないが、そんなことを言われたことを聞いたことだけ』にして、総会の発言を取り消すことはなく、叱責されたことを詫びず、反省することもなく部屋を出た。
議会などの席では『処分したことを報告したはず』だが、その後のtakeyamaの『履歴書には賞罰ゼロ』が続いている。

これだけで終われば何のことはないのだが、皮肉なことだがその後教育委員会に職場が変わって児童生徒の減少対策に携わることになる。
その一環で、議会から『山村留学に取り組むべきだとの意見』が強くなった。

このとき、件の事件を大いに参考にした。
『山留まがいのもの』を排除するために、当時隣村で20年くらい続いている『育てる会』の山村留学に限定し、児童生徒の保護者もPTAも入った教育問題懇談会に導入の是非を諮問した。
総会の事件を村長に報告した議員が懇談会の会長、takeyamaが事務局と言う組み合わせはある意味傑作だった。

不安もたくさん語られたのだが、都会の子供はオタマジャクシを見ても感動して対処する。そんなことが今の村が当たり前だと思っている地元の子供が地域を見直すきっかけになるはず、だという当時の校長先生の言葉がきっかけになって、受け入れの方向になり、『一方に子供が少なくて困る親がいて、他方に豊かな自然の中で子供に生活させたい親がいる』のだから困難なことはあっても『育てる会の山村留学を受け入れるべきだ。』と言うことになった。

相当心血を注いだから、諮問に対する答申の骨子は今でも覚えている。
これが地域の山村留学の始まり。

今また、山村留学に対する議論が必要になった気がする。
良い意味でなく『際限なく都会化した地域の子供たち』にとって『ちょっとがまんする山留生の存在』は重要だ(と思う)。
当時は『何と言っても数合わせの側面』が多かったのだが、今は何でも自己完結を目指す『山村留学生の生き様』の方が大事な気がする。

今更こんなことを書くこともないのだが、あの(?)さんに『父さんは、はじめは反対だったのだが、今は推進する立場にいる(からすごい)』と言うようなことを言われた。
だからはっきりしたほうがいいと思った。
『育てる会の山村留学に反対したことはない』し、どこぞの大臣のように発言が揺れたのではないのだ。

地域に山村留学は受け入れられているか?

山村留学のことを根本から考える会が2回あった。
『里親農家がない(足りない)』ことから『それをどうするか?』の過程で出てきたこと。
去年から問題提起はしていたつもりなのだが、ここにきてようやくその機会ができた。問題提起はこのブログ記事。

残念なことなのだが、市にとって『日本の子供を育てる』という『壮大な視点』はない。
市の総合計画に対するパブリックコメントが募集されたから『人を育てる市』とするべきだと提案した(13、特長ある学校づくりで、メンドシーノ訪問と山村留学に関する部分はtakeyamaの提案)のだが、『そのつもりはないと一傑』されたことは、市のHPに公開されている。

だから山村留学は必然的に『市にとって、地域にとって必要な場合』にだけ成り立つことになる。

特に地域にとって『必要で重要なこと』が『地域の住民に理解』されない限り『山留事業の協力者である里親農家の出現は望めない』ことは去年から気が付いていたこと。

地域づくり委員会では『PTAなど保護者の山留の必要性について意見』を聞いてみることになったが、組織の協議が進まないと実現しない。

前に農家体験をしたものが集まって『農家集めの実践活動』をしたのだが地域を回った者からも『地域に必要性が認められているのか?』と疑問が出された。
根本的な問題に入って検討しなくてはいけないことはもちろんだが、それはそれとして、より現実的に『農家集めの実践』を具体的に進めたことは言うまでもない。

地域の教育力の高め方には入口が二つある(と思う)。

ひとつは『保護者が自分の子供を育てるために地域の教育力を高めたい』とする方向からで、片一方は『地域を維持し、発展させるために、大所高所から地域の教育力を高める』方向からだが、後者の勢力が合併によってなくなってしまった。
双方向からのバランスが保たれて、望ましい地域の教育力ができ上がるのだが、

このことについてちょっとした『具体的な昔話』があるのだが、明日にでも・・・

「父さん、知ってる?」

父さん!「ヒロスエリョウコって知ってる?」

もう11年も前になる。当時アイドルだった件の女の子のことを、いたずらっぽい目をして聞いた少年がいた。小学5年生。
『知らないだろうなー』とこっちを冷やかす意図が見え見え。

今朝の天下の朝日新聞のトップ記事が『おくりびとのアカデミー賞の快挙』を報じていて、件の広末涼子さんの顔もみえる。
そんな記事をみて、を思い出したこと。

当時の夜『会議』と言って出かけるtakeyamaに『父さん!ソルマックの在庫はないよ!』と『目が笑って』送り出されたこともある。
『夜の会議は宴会のこと』だと喝破していたわけ。

近頃の少年たちに『こんなコミュニケーション』をとれるものは残念だがいない。
こんな時、こんなに面白い者を人に預けて『こっちは楽しませてもらっているからいい』のだが、『実の親に申しわけないな!』などと思ったものだ。

この春、大学を卒業して社会人になる。就職が決まったそうだが・・・

悩んでいる少年たち

昨日農家に来て、3月1日にセンターに入れば、今年の山留の農家の役割は終わり。
今の時期、少年たちも、その親たちも、来年も続けるか、実家の方に帰って生活するかを悩む時。

農家を含む受け入れする関係者は、『山村留学を自分で選択してきたというプロセス』を『絶対の条件』にする。
何かマイナスの事件があった時に『大きなばね』になるから。

だから、年端の行かない少年たちが『自分で決めろ』と言われて、大いに悩む。

takeyamaの関係した少年少女は14年間で50人ほどになるのだが、多くの彼らが『継続か修園か』で悩んだことをちょっと紹介してみたい。
みんなの参考になるのだから、自分のことを書かれても怒らないでほしい。

収穫祭に個人研究テーマの決定が遅れて、アケビや栗がなくなってしまってから、山の秋の実の研究を発表して、そのことを農家の父さんに指摘されて、『みんなの前で冷やかされた』と頭にきた少年がいた。
『父さんに仇打ちする、リベンジする』と山留を継続することを決めた。

家庭の環境が、誰が見ても親元を離れざるを得ない状況を自覚していた少年は、極めて淡々と中学3年まで山留を続け、周りに悩みを見せることはなかった。
受け入れの関係者すべての気持ちをくみ取るすべを磨いた(身についた?)から、そのすべてに愛された。、少年たち同士ではつかず離れず過干渉にはならなかったが、それが彼の生きる力だったかもしれない。

中学2年生にして『将来は教師になる目的』をもって、その際の一種の『ステータスに山村留学を利用』したかった少年がいた。
だから、積極的に濃密な一年を過ごして、中学2年を終了し、3年生時には自宅にかえって程度の高い高校に入ることにしていたのだが、『いいとこ取りでtakeyamaの修了証は出ないな、苦労が足りない』『高校は入ることより、入ってからが大事だ。高校の程度にこだわることはない』と説いたのだが、結局最後は3年まで続けた。
まじめと一生懸命を丸めたような少年で、がんばることに照れがなかったから『平気で頑張った、ある意味貴重な少年』だったから、美麻の中学に相当のプラス効果があった。
この頃のみんながそれを食いつぶしていないか?が心配。

修園の集いには、これで『山留は終わりの組』にいて、その後の会食会で親の『続けてもいいんだよ!』の言葉を聞いて驚喜乱舞して泣きながら継続を決めて少年もいた。
親の事情を配慮して、心ならずも修園を決めたらしい。相当ドラマチックな展開だった。
そんなことがあるからなのか、相当親子の仲がいいのが山留の特徴。

3学期、センターに入るために親元を出る際に涙を見せて、『今年1年で終わって帰ってくる』と夫婦で話しあったという少年が、雪に感激して、雪に夢中で遊んで、ついに次年度の児童会長選挙に出馬して親の方が『口あんぐり状態』になってしまったことがあった。
もちろん選択は継続。子供はいつでも脱皮する。

修園の集いで『まだ遊び足りないから残る』と宣言した少年がいた。彼の目的は遊ぶことだったのだ。
『目的のない者は山留を続けてはいけない』などと言う、大人の都合の発言にビビることはない。
遊ぶことも今は山留の重大な要素だ。
遊ぶことやいらずらのない子供の方が怖い、と思う農家の父さん。

地元で登校できずに山留を選んだ少女がいた。こっちでは一日も休まずに登校出来たのだが1年で帰ることにしたことに周囲は相当心配した。
中2の相当な美形だが、木登りをして、農家の父さんの『ごつい長靴』をはいて登校した。
帰ることの決断は『山留を逃げるのではなく、親もとの生活への自信が芽生えたから』だと分析したのは、農家の父さんだけだったかもしれない。
こっそり最後の会食会に確かめたのだが、読みが違ってはいなかった。

自分では残りたかったのだが、親が高校と将来のことを心配して中学2年で修園した少年がいた。
農家の父さんとしては、『中学3年は親元で次の高校のことを考えた方がいいと思う』から、大概3年は帰りな!と言う。
でも残りたかった少年は、その後ちょっとスランプになり、回復に手間取った。去年の夏回復した状態を見て一安心したのだが。

山留生は全部自分で決めるのだが、その決断には親の気持ちが相当影響していることにも気が付いている。
家庭の事情や親の事情を子供は気が付いている。
『おまえはよく決めたなー』と言うtakeyamaに『親の気持ちが判るもん!そんなもんだよ父さん(この場合は農家の)』といったのには鼻の奥が『つーン』とした

炭焼き

毎学期、山留の農家と指導員側が『一杯やって意見交換』するのだが、2学期末のその時は『炭焼きの話題』でずいぶん盛り上がった。

センターは『体験として何度も炭焼き?』をして、『あの父さん』がそのたび指導するのだが、昔それを『業とした者にしては相当忸怩たるもの』があったと思う。

体験が優先だから、窯の都合に関係なく『子供たちの日程に合わせなくてはならない』。
だから多分『これを炭焼きだなどと言ってもらっては困る!』といった心境だったのではないだろうか。

1年に一回、湿って、さめきっている窯で、材料はこの辺では上等の楢材を使っても『製品のできは、残念だが想像できる』。
件の会で『木なんかナンでもイイだ!おんなじことだ!』と自嘲気味に言ったのが心に残った。

体験する側の子供たちも、その周囲も『頭や耳は相当のもの』だから『備長炭とは?』くらいのことは平気で言う。

『続けて2窯は焼かないと!』!と今年は『体験用』の後『おとな用』『指導員用』に『窯の進行状況に合わせた作業を展開』する『炭焼き』をするそうだから参加してみた。

全工程は3日がかりになって、センターとの距離はあるし、あいにく市の連合自治会などと言う変なものも入って、抜けた時間ができてしまった。

一応『業とした時代に近い作業』をしたし、原料も吟味したものが入ったから『ある程度のものが出来た』し、量も一定のものが出来たから『ゴベー(赤く焼けた炭のもとを冷やして炭にする灰のこと)』が足りなくなったほど。

恥をさらすのだが、6年生の時、学校でのいじめの類に嫌気がさして『登校を拒否したことがあった』のだが、死んだ親父はその時「そうか、学校に行くのが嫌か?」「それじゃー仕方がないから俺と一緒に炭を焼くか?」と炭焼き釜に連れて行かれた。

当時は今と運搬手段が全然違うから、材料の近くに窯をついた(つくった)から、そこは当然『山奥で傾斜地』、6年生ともなれば、当時は『もういっぱしの戦力』だから1人で作業することになる。

のこぎりで木を切って、傾斜の山を上り下りして材料を窯の近くに集める。
そうとう参った上に、夕方は4貫目(15キロ)の炭俵を2つ背負って山道を登って、下って帰宅する。

ずいぶん昔で、数えたら55年になる今頃(2月)のことだが、よく覚えている。一発で参ってしまって翌日から学校に行った。
学校の先生とはしょっちゅう一杯やっていた親父だから、裏で相当手をまわしたのでは?と気がついたのはこの頃のこと。

そんなことも思い出した大人の炭焼き体験

年賀

ちょっと年末には身辺がバタバタしていて新年の書き込みが今日になった。

新年おめでとうございます。
今年もこのブログをよろしくお願いします。
新年と言っても年々その感慨が薄れてくるような気がする。
67回目の新年だからナー

青具の区長(自治会長)は、2年前にその代理になった時に覚悟はしていたのだが代理の受け手がない。
そんなことでようやく『なくてもしょうがない!』と決まったのが押し迫った29日。

そんなこともあって年賀状の発送ができずに多くの方に失礼した。

多くの方から年賀をいただいて感謝です。

山留の農家を13年も続けていると面白い年賀が届く。
ようやく結婚して2人の名前のものが始めて来た。

傑作だったのは「理学療法士になる、なれるまで体を大切にしろ!」と言うやつ。
あと2年かかるそうだ。
郵便受けから居間への途中で思わず笑った。
彼は小学校6年の夏休み、暑中見舞いで農家の父さんたるtakeyamaに「しっかりしろ!」とお説教めいたはがきを送ってきて大笑いした思い出がある。
性格と言うやつは本質の部分では変わらないものだ。

こんな時は特別な感慨がある。本当に世話になるかもしれない。修園の時に『出世払い』制の説明は必ずするのだが・・・

『テレビやゲームは禁止』ではない!

帰省する(した)子供たちの目を意識して書いている。
親がブログに訪問していることは推察できるのだが『子供にはどう対応するのか?』ちょっとした興味はある。

昨日、朝食の最中に「テレビもゲームも禁止されてはいないんだよ!」と言ったら「え?」といった意外な風で『目をむいた!』

27日に子どもたちは帰省するのだが、ちょっとした『禁断症状』のように、テレビの前に座りきりになったりゲームに夢中になっている姿が想像できる。
夏休みがそうだったはずだ。
多くの場合、青白くたるんだ顔つきで帰村する。

この前ちょっとした事件があってそのとき『隠れてしていたゲーム』のことも『反省の材料』になったようだ。
隠れてゲーム機を持参したり、もしかしたら親に送らせたり、親せきなどからプレゼントされたかもしれない。

彼らは頑張って、『テレビやゲームを禁止された生活』を送っている(と思っている)。

よく考えてみれば、それは『禁止されているのではなく』そういった生活を『自分で選んだ』のだ。

takeyama家でもテレビを禁止したつもりはないが、そういった『生活を支援する意味』でチャンネルだけは離さない。
バーチャルな世界に飛び込みやすい年代の子供を相手だから、そんなことを意識して現実味に乏しいオーラや超能力、マンガが映っていることはない。
相当なジャンキチだからいつも野球だし水戸黄門の類だったり相撲のことも多い。
頑張っているつもりだ。

残念だが『禁止されている!』という意識が抜けないから『もろもろの環境に対する新しい興味』がわいてこないし、『楽しみ』にも気がつかないことが多い。
そんなことが『帰省で山村留学を一休みした機会』に『禁断症状が出てくる原因』だと思う。

近年『新しい興味を見つけ出すことの手助け』がずいぶん難しくなった。

カミサンは毎朝『今朝は雪が降っている?』などと必ず天候の質問をする。自分ではわかっていてもほとんどする。
昨日から雪降りだが、その前は北アルプスの朝焼けは相当みごとで感動するはずだったのだが・・・

朝食が終わって『自分で選んできたのだよ!』と言う訓示?に、『仕方なく?うなずいた』。

ちょっとした荒療治

『荒療治』のまくらことばに『ちょっと』と言う表現がつくことは『国語の決まりごと』からはおかしなことだと思うのだが・・・、マーご容赦!

1週間前、子どもたちは夕食にありつけなかったらしい。

ほとんど朝食は米食なのだが、たまにパンのときがある。

『食事の好き嫌いをしないことが会のステータス』だから、子供は気を使っているのだが『パン食の方がうれしい者』は当然いる。

たまの『パン食のお代わり用』を『通学中に食べよう』と『持ち出した少年』がいた。
『一種の欲求不満』からだと思うのだが、持ち出しても通学途中に食べるほど腹は減っていないからどうも途中で捨てた(らしい)。
捨て方もマー『お遊びに近い』ものだった(らしい)。

何かの用事で通学路を見回った指導員の目に触れた。
事情を調査した指導員に対する反応が芳しくなかったらしくて、標題の『ちょっとした荒療治』になった。
夕食時に『厨房の電気がつかなかった現実』に子供たちは仰天した。

日ごろセンターは『食事について基本的な生活習慣』として気を使っている。

いろいろの事情で食生活が乱れていた子供たちは、集団生活の中で徐々に改まってくるのだがそんなことに一生懸命な指導員のショックは想像がつく。
会の食事は『もろもろの命をいただく』ことから「黙とうして、いただきます」から始まる。
単なる『黙想』ではなく『黙祷』するところに意義がある。

それを否定されてはたまらない。

荒療治を通じて『ハッと気がついた子供たちが多かった』ようだ。

こんな情報を提供しては実親の目に触れるから、会からは疎まれるかもしれない。
会への抗議はもちろん、問い合わせはしないでほしい。メールホームなどで個別な問い合わせには応じるから。

また児童虐待などとは間違っても思わないでほしい。

もう何年も前だが、子供たちの『ストーブの使い方が約束違反だからと取り上げたことがあった』のだが「オイ!子供もないのだからおれたちもやめろや!」と暖房をなくして震えていたことがあった。
指導員もそんな対応だったはずだ。

一連の感想を一言でいえば『若い指導員がよく頑張った!』。

夕食がなくて『腹が減って困った?、眠れなかった?』と聞いたのだが『何ともなかった』と答えたから『そーさなー、人間も動物の一部だから一食位食わなくても何とかなる』と答えておいた。

熊肉

昨日は熊肉を食った。

解体の現場をtakeyamaと一緒に『一生懸命観察した少年』がいた。
これは肝臓、これは心臓で、肺は、この長いのは腸、これが胃袋だ。
ここがロース、ここはカルビになるところ。などと解説。
20代には畜産技術員の経験がある。

さすがに野獣で、きれいな皮下脂肪で真白。
内臓脂肪はついていない感じ。メタボにはなっていないが冬眠前だから本当は付いていてもいいのではないかなー

それはともかく『生暖かい肉のにおい』をかいで、生々しい解体現場に遭遇したから、『食べるか?』と聞いた母さんに『ちょっと・・・』と答えたらしい。

だから『どうかな?』と心配したのだが『なんということなくみんな食べた』。

素人集団の解体だから『ちょっと解体中に毛がついたところ』もあったらしくて、一生懸命探していた風があったのだが『豚の毛よりはいいぞ。彼らのようにフンの上に寝てはいないからきれいなもんだ!』と言ったら何となく納得したようだ。
実際奇麗な皮毛は見事なもので、豚舎や牛舎の家畜とは大違い。

かみさんは肉の類は受け付けない体質だが、料理自体は好きだし、結構上手だから『腱や肉の繊維とは直角に切る工夫』もする。
昔は自分で調理したのだが、それとは雲泥の差で結構美味く食べられた。

やはり『脂の味や食感』が家畜とは違う。
『今後一生涯食べられるか判らないぞ!』と言いながら、たいらげた。

マー貴重な経験にはなったはずだ。
子供のうちに『食に臆病にならない』ほうがいい。

収穫祭

15日と16日は学園の収穫祭。
楽農にとっては『貴重な秋の一日』だったのだが、それを超える機会になった。

学園の収穫祭は『一年中の最大のイベント』で過去の『脩園生』が大勢訪れるから懐かしいい面々に会えるし『彼らの親たち』も大勢訪れ、『子供が介在してはいない人間同士』の関係になれることも楽しい。

収穫祭には『市の中枢も招待され』ていたのだが、機会をとらえて『信濃大町応援団』超具体的には『ふるさと納税(寄付)』を募集していた。
去年はこんなことがあってその時は念頭にはなかったと思うのだがそんなことは一顧だにしない。

ちょっと気になったのは『いわば子供が人質に取られている状況?』で『保護者などに素直に受け入れられたのか?』だ。

市や八坂の地域(支所側含む)対応は『いわば見事』で、首長や議会、八坂の地域は支所の関係者や地域の役職関係者が大勢訪れていた。
もちろん学校関係者も。
一方の美麻の関係者は学校の職員などのほかは専門の児童委員以外には見当たらず(教育担当は一人いたが)山村留学に対する地域の意気込みは?

学園に子供たちを送り込んでいる保護者などは一様に不安を感じているようだ。
年度当初にこんなことがあった農家の父さんとしても不安だ。
来賓が出席しない(今年からの方式だが)会食会には『今年は農家として責任をもって子供は預かる』と宣言はしたのだが。

収穫祭最後に最高責任者のコメントがあった。40年の歴史が学園と地域そして実親の関係を成熟させていること、行政との関係が良好なことを市長や議会の出席を例にして話したし、この地域の『農家はなまじな教育者に優る』というリップサービスもあった。

会食会は一人の子供行く末を農家と親がざっくばらんに話し合える機会になった。調子に乗ってアルコールが次の日に残った副作用もあったが。

今日17日は学校の父母懇願会で、親と子供の久しぶりに会える機会が長くなったのはどう影響するかな?

昨日(16日)は模擬店の一環で農家の生産物がたくさん売れた。子供のために!と思った『親心に便乗した後ろめたさ』はぬぐえない。

「秋刀魚の頭はどうしたんだろう?」

金曜日の夕食時、こども達は給食の話で盛り上った。

この日の給食のおかずは『秋刀魚』
「頭どうしたんだろー?」全員の分に頭がなかったから『相当の頭がどこかにいったはず』と子供達が言った。

最近のスーパーには、頭だけ除いた生の秋刀魚を陳列してある。だからほとんど話を気にしないで、おおかた『頭だけ刎ねた秋刀魚を注文したのだろう』位に思ったのだが、どうも違う。

学校の給食はおよそ140人分だが、その全部に『尻尾の方の側、半分』が提供されたらしい。
相当丁寧にスーパーを探しても尻尾側だけを売っている事は無い。
だから特注だと思う。

『頭側をあてがわれたものと、尻尾側のものとが不公平になる』大方そんなことだろうと思うのだがtakeyamaの感覚では『ちょっと異常だ』

子供の頃、魚の輸送手段が悪かったからこの辺に来る秋刀魚は『良くて一塩』で生のさんまなどにはお目にかかれなかったし、冷蔵の技術が進んだのは随分後のことだったから大概のものは『焼くと内臓の部分は、なくなったか、少なくても形は崩れた』
貧乏人の子沢山と言うやつで兄弟が多かったから秋刀魚は良くて半分だったから「しっぽの方が来れば良い」とひそかに思っても、それを口にしたことはなかった。

教育機関がする学校の給食だから、教育的な見地から『断固頭側』『断固尻尾側』を提供することが今『流行の食育』だと思うのだが。

内臓はちょっと苦い味がする。今は大の大人がちょっと苦いだけで大げさに顔をゆがめる。
そんなことに配慮したのかもしれないが、ちょっと大げさに言えば食の文化がゆがんでしまう。

さすがに山留生でその『異常さに気がついている。』

尻尾半分でも『皮をよけて食べ』たり『残す人』が居て、変だという。
変なことは変だと思うし、そんなことに気がつく山留生にちょっと安心しているtakeyamaです。

そんな話の最中、漬物に入った青唐辛子のでかいのを飲み込んで真っ赤になった少年が居た。
「ピーマンだと思った」とは言うのだが、一緒の茗荷も辛かったはずでこれも『気がつかないほうが悪い』と断じるのがtakeyama流。

賞味期限や消費期限もその『記述を鵜呑み』にするのではなく、自分の味覚や感覚を磨いて自己責任を!と思っている。
同じものを口に入れても、吐き出して飲み込まなかったから事故にならなかったり、被害が軽かった事例は多い。

『ちょっと箸をおいて!』

リーダーがみんなの食事をさえぎった。そして、
『一学期はお世話になりました。』『だめなこともあったけど、2学期もよろしくお願いします』

今年から『センターでの生活を済ませて帰省』するから、今朝で農家生活が終わる。

ずっと農家で過ごしていたからセンターの指導員の指導は入っていないはずで、口下手の彼だが『やるときはやるなー』と思って『立派なご挨拶で!』と返礼。

ちょっと体調を崩した時があったのだが、そんな機会に成長したのかもしれない。
子供はどんなことでも成長の機会になる?

久しぶりに結構楽しいこともあった1学期で『楽しかった!』と答礼したのは母さん。
もちろんtakeyamaにも異論は無い。

通常のセンター入りの荷物に加えて帰省時の荷物もまとめた。
小学生はフサスグリを収穫して、母さんとジャムを作ったのだが、それもちゃんと持った。

今日からセンターだが夏休み前の週末はスケジュールがいっぱい。
張り切って『夢中』になり、体調を崩さなければいいのだが・・・

体調

農家仲間』の母さんが体調をくずした。

昨日見舞いに行ってきたが、個人情報のことだから『心配の方はメールホームで問い合わせ』てからにしてください。
子供たちの農家生活に支障はない。

紹介

このブログは美麻wikiをリンクしてあるからお気づきの読者があるのでしょうが内閣府へのレポートにこの地域のことが紹介され、山村留学の記述もあります。

合併前からこの地域によく来ていた方です。

『昨日・今日一番の話題は何かナー?』

15日の朝のこと。

14日の朝、岩手宮城の内陸で大きな地震があって、その日は1日中それを伝えていた。

山留生はテレビを基本的には見ない。
『大きなニュースを知らなくてもまずい』と思って、標題の問いかけになった。

新聞の朝刊(といってもこの辺は総合版だが)の一面をさりげなく逆さまに持って居たのだが、すぐに『ハイ!』と手を上げた者がいる。
『宮城県と岩手県に大きな地震があったこと!』
昨夜はテレビを見てないし『ちょっとびっくり』して『恐れ入りました!』と最敬礼した。

たいした『情報収集能力』だと思った。

これには『ちょっとした後日談』があって、14日の夜『お互いの信頼感がないと知らない者同士の家族生活は出来ない』とカミナリが落ちたことは知らせてあるのだが、その場にテレビが点いていて『そのときに判った』と白状した者が2人。

『お説教は耳で聞いていて、目だけでニュースを追った』と『言い訳はちゃんとした』のだが『マー怪しい限り』

いずれは実家に帰るのだが『相当訓練して帰る』から、親は決して『油断しないように!』

『逆さまに持った新聞で気がついた者』もいたし、『全然トンチンカンな者』もいた。

今日は振り替え休日で、遅くなってしまったのだが、ヒラタケとナメコの原木に種こまを打った。相当力になって助かった。

6月の農家入り

中学生は明日『郡球』
何故だか判らないのだが、『北安曇郡球技大会』と言うのが残っているのかな?

中学生にとって『一番グレードが高い』大会。

人数がいなくて団体競技が出来ない学校もあるのだが、野球部員は24人とか。
紅白戦ができる人数がいる。
ここ2~3年人数には事欠かないから相当レベルが上がってもいいはずなのだが、ことはそんなに簡単では無い。

ずーと管内で野球部がある学校は5校だけだったのだが1校増えた。

今年から6校をふたつに分けて『3校のリーグ戦』で中信大会の『代表を決める』ことになったそうだ。

『勝負は時の運』とは言っても『実力差は相当の物』で何とか1試合でも勝てたらと思うのだが、『実際は善戦できたら御の字』と言うのが実情。

『農家の父さんが応援に行くか?』といっても好い返事が無い。
『自分達の程度』のことは『充分承知』している風。

小学生が事情も判らずに『せき掛ける』から、かわいそうになって少しブレーキを掛けた。

小学生はメンドシーノ訪問から帰っての農家入りだから『いろいろ聞き出し』ている。

花の種をお土産にしてきた者がいる。
当然だが『全部あちら語』だから『なんだか判らない』のだが、絵から判断すれば矢車草?とパンジー?かな?

『判らなかったら英検2級に聞いて!』ときた。
そこは農家の経験でちゃんと種まきをしたのだが『9週間から10週間で花が咲く』と英検2級が解説したから『容易ではない』

メンドシーノ『地域上げての歓迎振り』も窺える。
日本語で『大歓迎、大町美麻!』と書いた看板があったそうだし、ここで『あまりお金を使わないで!(英語だったそうだが)』とも言われたそうだ。

『消費税が7パーセントなんだよなー』でも、お土産のチョコレートの勘定書きにその記載が無いから『食品には消費税がかからないのか?』や『ディスカウント、プリーズ!』といったら安くしてくれたことなども話した。

全員(30人超)同じ赤色のシャツを着ていったから(市長や議長も)入国審査では何も聞かれなくても通してくれたそうで『ちょっと拍子抜けした風』もある。
難航してはもちろん困るのだが『ちょっと困る経験が貴重!』だと思うのが『山留農家の父さん風』

大声で『ハロー!』といったら『回りが急に静かになった!』後に続いた大人(議長かな?)が『随分元気のいい子で!』といわれたとか。

雨のお節句

『端午の節句』が『こどもの日』だとしたら、この『地域の子供の日は今日』になる。

『地域の端午の節句』は月遅れの『6月5日』、正確には『こいのぼり』は今日が本番。
『こいのぼり』や『武者画の幟』がはためく。
『5月を過ぎても安曇野にこいのぼりが泳ぐわけ』がお分かりでしょうか?

ついでだが、『お盆』も『月遅れで8月』なのだが、都会からの帰省の影響が大きくなって、8月のお盆が月遅れだと思う人のほうが少ない(かな?)。

『苦難や災害を鬼に見立て』て『危難よけに菖蒲とヨモギが有効』だという話は、よく山留の収穫祭の民話劇に出るのだが、端午の節句に『家の入り口に危難よけとして菖蒲』が飾られる。

最近は玄関の柱に簡単に結びつけるだけだったのだが『昔風に取り付け』てみた。

お節句 004

死んだ親父が『それ様に作った装置』がちゃんと残っていた。

子供の頃どきどきしながら親父を手伝った思い出がよみがえった。

またまたついでだが、昔はお節句までに田植えを済ませてお節句が『※農休み』になるように地域の皆はがんばった。
集落全部が終わるように『皆が終わらない家に集まった』。

※農休み
集落のほとんどが農業だったから、週休日(日曜も)は学校などのためにあり、百姓は毎日働いた。『働きすぎを諌めるねらい』があったと思うのだが、節目の日を集落で休みの日にその都度取り決めた。

『半日休み』のほか『飯前(メシメー)休み』と言うのもあり、『朝めし前』の仕事はしないこと取り決めたこともあった。

それにしても、このところ昔話が多くなった(かナー)。

センター入り、そしてメンドシーノ

22日はセンター入。
今年は全部が継続生だからか、随分『荷物がすっきりして小さく』なった。

ザックを背負のが結構様になって、これは大変だ!と言うイメージが無い。

小学生は23日にメンドシーノに出発。

たいしたもので『海外旅行の用意に手助けがいらない』という。
出発の風景をCATVで見たのだが、バスの出発を控えて親が荷物のチェックをしている風景もあった。
雲泥の差。

彼らの『生活能力、特に自己完結を目指す姿勢』はたいしたもので、めったにほめないtakeyamaをしても自分に置き換えて、認めざるを得ない。

随行者が現地から『リアルタイムで情報を送って』来る。

『基本的な生活習慣』がしっかり『確率されているとは言えない』面があるのが気がかり。
『忙しくて朝はトイレに行けなかった!』などと言う者がいる。

保健の先生も学校医も『快便』の大事なことを指摘している。
父さんは飛行機のトイレを『何事も体験だと思って使ったなー』とさりげなく言っておいた。

『時差ボケの経験がある』者もいるし『海外で生活していた』者もいる。
余計な心配だとは思うのだが。

山留協

『八坂美麻山村留学推進協議会』ちょっと長ったらしい名前の会だから、以下『山留協』で、
22日の夜今年度の総会。

この会は、合併に際して、村の教育委員会が無くなることを受けて、山村留学の事務的な部分を受け持つ会として組織したものだが、メンバー上致し方なく正副会長とも農家(里親)になってtakeyamaは副会長。
山村留学は行政の支援がないと到底運営できないのだから行政が直接係れない限りその橋渡し機関は必要。

農家は『子供が育てる会から割り当てられ』て始めて『山村留学に係る』わけだから『それを推進する立場の会の中心になることはちょっとおかしい』のだが、会の顔ぶれが『学校の先生』や『PTA』市の『教育委員会とその事務担当者』『実施団体(育てる会)』『地元の議員』などだから『普通の地域の市民がいない』ので『どうにもいたし方無い面もあってそのまま推移する』ことになった。

それぞれの立場から今年の山留生について意見交換したのだが、学校側の評価は結構厳しい。

教育者の立場だから『あからさまの批判は控える』のだが、言葉の端々からそれはうかがい知れる。

言葉使いや挨拶、態度など、特に八坂の児童や生徒は相当訓練されているのだからそれとの対比で語られるとちょっと耳が痛い。
『個性的』と言う言葉でオブラートにつつまれているのだが、そこに安住してはいられない。

教育委員会や行政側からは山留の意義が好意的に語られはするのだが、『山留生としての成長』はともかく、それが『地元の子供に与えるプラスの効果』が積極的に『語られる場面は無かった』。

地元の住民や議会筋から山留生が学校に存在することに対して『どうでもいい!、特段の感慨は無い!』の発言があったことはtakeyamaにはある意味ショックだった。

際限なく『都会化(いい意味でなく)している地域の子供』にとって『何でもちょっと我慢して、自己完結を目指す山留生』の存在は『地域の保護者にとって貴重な存在』だと思っていたから。

そして、彼らのそれらをいわば『我慢しながら後押し』をしていた、と思っていたのだから。

会終了後のセンターとの懇談で『子供におもねることをしない』、『老人の価値観を子供に押し付ける』『takeyamaは絶滅危惧種?と評価』されたのだが、変な意味で納得せざるを得ない。

農家の引き受け手が無くて困ったことは正直に吐露させてもらった。

山留事業が『地域にプラスの評価』をされない限り『農家をする者はいない。』
結局『地域のためになっている!』と思ったのは『幻想で一人よがり』だったのだろうか?

「ハイ!」、「なるほど!」

何か言うと『すぐ』に、はなはだしい時は『言い終わらないうちに(と思うほど)『ハイ!』と言う少年がいた。

マー『口癖』の一種だろう。
いわゆる体育会系の『ハイ!』で『ちょっと前の高校野球の指導者』に『直立不動で応対する野球少年』の姿だ。
いまはそれでは通用しないらしいが・・

takeyamaは『ちょいちょい訓辞の類』をするのが『癖?』だが、あまり『ハイ!』『ハイ!』言われると、つい『面倒くさいからハイと言って済ましてしまおう!』と『思っているのか?』などと邪推して、段々小言がエスカレートしてしまう。

スポーツ少年などの指導者像にもいろいろあるのだが、自分の教えを強要している者が無いとは言えない。
だから、指導に『無条件に従うことを『良』とする風潮』もないとは言えない。

サインを見落としたりすることを極端に嫌がるから、2アウトになって2ストライクになっても真剣にサインを窺うようなことが起きていることが『過去』にはあった。

『オウム返しのハイ!』にはこんな背景があったのかも知れない。
『判らないうちにハイ!と言うな!』などと散々言ってきた。

一方、何か言うと『あ!なーるほど!』とか『ホー、なるほど!』と言う少年がある。
実にタイミングが良くて話がしやすい。
つい『本当に思うのか?』『口癖か?』と聞いてみたのだが『マー口癖かな?』と言う返事だった。
その辺もこっちの『意図を嗅ぎ取った見事な対応』だと思った。

隣の御仁が、僕も学校の授業中に『なるほどと思ったことがある』とのたまった。
こういう態度で授業を受ければよく身につく。
下手な家庭学習より上手で、山留生は時間的に忙しいから『かくあらねばならない』

連休が終わった

例年GWは農作業と修園生を含む山村留学への対応で終わるのだが今年も同じ。

4月20日に農家入りした彼らは3日にセンター入り。
親が訪れて親子行事をこなした後4日には共に農家訪問。

親と一緒だと随分印象が変る者がいるし、コメントすることも多いのだが、個人情報の公表はまずいとセンター側にブログのブレーキを掛けられたから彼らへの言及は控える。
会とは無関係ともいえるのだが、マー一応下請けの身分だから。

山留生全体のことを!とは言われるのだが彼らは『十杷一絡げ』で語れるほど『単純・没個性』ではない。

そんなわけで連休中に訪れた修園生の話題で・・

『行って来ましたー』といって入ってきた。
後ろの親は『口、あんぐり!』の状態。
前にこんなことがあってちょっとうれしかったことはたびたび口にしていたから、マー『受けねらい!』もあるのだろうがちょっとほんのりした雰囲気。

単なる挨拶だけの問題でなく本当に『気分的にも農家の子供になったか?』が言葉に表れるものだと思っているから。
2年ほど前のテレビ番組で始めての農家入りの際『お邪魔します!』の言葉にクレームをつけたことがあったが同じ意味。

近頃『民宿に訪れた』か、せいぜい『よそ様の家にお邪魔している』感覚の者がいるような気がして、気になっていたのだが。

『女を三つ合わせると何とやら』と言うのだが、この年代は総じて女の子のほうが精神年齢は早いから男女の機微に係る話が面白い。

『彼氏がいたナー?』と冷やかしたら、『違う!あっち側が一方的!』ときて、農家の母さんに『外出禁止令』を出されてしまった!ことも告白した。
それは去年のうちに知って居たのだが、同居していた一方が、相手の都合だったことを認めながら『はっきり断らないから!』と指摘した。
『彼の君は弟の憧れの人』だったから、弟思いの姉さんがちょっと配慮したのかな?

将来は長野の大学(信大)に入って『山留の指導員になりたい』。
農家が無いようだから『農家もしたい!』などと頼もしいことを言う。
『農家は簡単、美麻の農家に嫁に来たら好い!』といったら『まんざらでもない風』だった。

『テレビ番組を造る様な仕事をしたい!』と言う者もいた。
結構行動力があって、押しも強いし、観察力や分析力なども相当だからいいかも知れない。
在園中の庚申の掛け軸の描写はけだし見事だった。

『まだ判らなーい!』という可愛い者もいて今後が楽しみ。

何かと楽しい連休だった。

農家対面式から農家入り

農家としての山留の始まり、『農家対面式』後荷物を運んで『農家入り』
農家入り 017

全員が継続生、小学校2人、中学生2人。
センターの指導員は組み合わせに苦労したとは言っていたがtakeyamaには予想通り。

去年もいた中2、今年は野球部に入って楽しいという。集落にちょっと待っていた父兄がいた(かな?)。ちょっとアイドル系・・・

一昨年もいた中3は受験生、とりあえず、部活(野球)に一生懸命に取り組めばいいのだがちょっと(心配?)・・。体のこなしは充分。
ここでは書きにくいのだが、問題点がふたつある。
自分で気がつけばいいのだが。

去年の『修園の集い』の頃から、次年度を期待(覚悟?)して何かとまとわりついてきた小6、予想?(ねらい)どおりになった。
『中学はどうする?』と聞いたら『考え中!』だそうだ。
『小学校6年で、進路を悩むのは大事なことだ!』といったら、なんとなくうなずいていた。

1学期中だけで山留を終わる小5は張り切っている。

2人はメンドシーノに『自分で支度』して訪問する。
1人はもう少し『日本のことが判れ』ば『立派な通訳が務まる』(はず)。

残りの4人は『やまく

今年から継続生は『一坪百姓』をするそうだ。
肝心の夏休みにいなくなるのだから作物の選択にアドバイスが必要だが・・・

農家入り前夜

明日からtakeyama家の実質的な山村留学が始まる。
随分心配をかけたのだが、結局のところ美麻学園は農家2戸で対応することになった。

前年からの継続生6人を含めて8人の山留生だから、2戸で対応するのは『ベストではない』が『ベターな対応はできる』つもり。

4人が来ることになるはずだが、今頃どの農家に配属されるか心配しているだろう。
明日9時からの『農家対面式』で正式に農家が発表される。
その後荷物を積んで農家入り。
カミサンが軽トラ、takeyamaは乗用車でセンターにむかう。

今日は、とりあえず食べ盛りだから精米して飯米を用意した。精米

農家生活中に、もう1回精米の必要があるかな?

モードを切り替え

山村留学農家確保に頭を痛めてきたが、農業?の方にモードを切り替えるために、市の教育委員会と学園に手紙を送った。

19年度に山村留学生を受け入れた農家が2戸継続できない状況になって、新しい農家を探してきましたが思うに任せない状況です。
下記のとおり報告します。
20年度の人数(8人)分の物理的だけの受け入れは現有農家で可能ですが、山留生の組み合わせや次年度以降の対応上の問題があります。

○農家を探す上で課題
実施母体には美麻の事情や個人の事情に通じた人がいない。
個人的なつながりだけで農家を探すことは限界。
旧村時代、学園の継続や維持は教育委員会などの業務だったが農家はその時代のいわば遺産でつながっていた。
しかるべき責任団体の整備が必要。
学園とのつながりを持った公的な団体がないと普通の市民はしり込みする。
行政の義務感だけで運用されてきたから、地域に山村留学の必要性が認められていない。
必要なのか?迷惑なのか?農家の立場では理解できない。
原点に返った地域の議論が必要。PTAや地域づくり委員会等で必要性の議論をしないと必要なのか不用なのかがわからない。
行政の仕事だけで過ごしてきたから、仕事(関係)を離れると見向きしない市民だけになった。仕事だけのつながりだったから、本当に大事だと思い、必要だと思っていた関係者がいないのではないか。
○坂は地域の課題にしているし、○坂学園の側には地域の事情が判る人がいる。
地域で必要性が共通認識になっていることが学園側でわかるから○坂分の募集は積極的にするが。○麻学園の分はしない。農家確保が難しい状況がわかっている。
このままでは学園は消滅するおそれはあるがそれでいいのだろうか?
アイターン者に呼びかければ農家になる人があるかもしれないが学園の方針はそれでいいのか?

『心晴れ晴れ!』ではないが、ひとまず『学園』と『教育委員会』に任せて・・・モードを入れ替えた。
『個人の限界』を感じたから次年度以降は『新規まき直し!』
『地域での必要性』から議論を始めることになる?
こちらの続き
今日の岳山
今年の目標、復活再生を、雪の下で待つ『わかたの棚田』,11:2:2
11;2わかたの棚田  23年新春 自宅2階から山小屋風 1月3日朝 山小屋?  夕焼け(22;10:29)庭から鹿島槍を 夕焼け 鹿島夕日
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