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今日の岳山

29日、『翌日には台風が来るか?』と報道された。

夕方、『かみさん』が『ちょっと!すごい夕焼けだよ!』と告げた。
『一瞬の晴れ間』に『真っ赤に染まった夕焼け』があった。

『もう2分ほど前』の方が好かったのだが、『今日の岳山』にアップしたのをご覧ください。
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自己中心

地区の文化祭が終わって1週間たつ。
書かないでおこうかな?とも思ったのだが・・・

去年の文化祭とは違って他のイベントとは切り離されて実施されたから地域の住民にとっては落ち着いたものになった。

毎年芸能や文化活動に取り組む住民に感心するのだが、ちょっと気になったことを・・・

『自由と平等』は民主主義の基本だが、せんじつめて考えればこの二つを極めることはできない理屈で、片方を突き詰めればもう一方はできないことになる。

同じようなことが『義理と人情』にも言えて、『義理』を突き詰めれば『人情』がおろそかになる。
その反対もしかりで、改めて説明する必要もないと思う。

そこで両方とも配慮しないとどうなるか?

芸能や文化活動は『自己啓発』活動で、一方それを『他人に認められる』こと目的にしている面もある。
そんなことで年に1回の発表の場にはそれぞれ『力(りき)が入る』

主催者も高齢者学級などをセットして『それなりの観客数を確保』する。
そんな配慮を『知るや知らずや』
自分たちの『出番にだけ会場に来て、終わればさっさと帰る』そんな人(団体)が如何にも多い。

『自分の活動の価値は認めるのだが、他人の活動の価値は認めない』そんな人が多くなった。
気になるのは『少年たちや、その親や、取り巻きにその傾向が顕著なこと』
教育に関係する大人は注意した方がいい。
どんどん『自己中』の人間を増やしていることに気がつかなければいけない。

『あなたを見たい!』と言う人より『義理で見て』いたり『思いやり(人情)で観客』になる人が相当数いることを感じた方がいい。
『見ていただいてありがとう!』と思えば他人の活動にも『義理や人情』が生まれるはずだ。

名指しは控えるのだが、ちょっと遅れて見学しようと家を出たtakeyamaの前を、すでに帰っていく団体のマイクロバスがあった。
『え?』と『もう終わったのかな?』と会場に着いたら、会は佳境に入っていた。
『他人の活動を見向きをしない行動』を続けて、『自分の活動を理解応援してください!』は『いかにも独りよがり』だ。

かといって、『相手に直接意見を述べる元気はない!』のがtakeyamaの『いい加減さ!』だが・・・

マーこのブログが『自己中』そのものなのは認めているつもり。

水上神社

ちょっと『ショック!』なことがあった。

水上神社は『みずかみ神社』であって、『みなかみ神社』ではない(と思う)。
『産土神社たる水上神社を崇敬する氏子』の皆さんはどんな感じをしたのだろうか?

明治時代から戦後まで『藤の産土様(藤井神社)』が水上神社に合祀されていたことがあって、そんないきさつは美麻wikiに記録させてもらっている。
そんなことでまんざら無関心ではいられない。

24日は地域の文化祭で、中学生の研究成果が張り出されていた。

中学生が地域に関心を持つことは大変いいことなのだが、「水上神社は『みなかみ神社』です!」というのには参った。

『出典基』が判らないので『軽々には言えない』のだが、『産土様の世界』は、マー『宗教と言うよりは、民俗や風習の世界』であり、この場合、その名称の類は『土地でいい慣わされている呼称』が『正式なもの』であるはずだ。
『出典基が宮司でない』ことは確認できた。
宮司が困っていた。

前に『青具』は『(あおぐ)ではなくて(あおく)であることを書いたことがある
地域の固有の歴史や文化につながることを勝手に変えてはいけない。

ウインドーズの言語では『あおぐ』と入力しないと『青具』にはならないのだが、takeyamaのコンピューターは『あおく』と入力すれば『青具』に変換するようにしてある。

『水上』を『みなかみ』と読むことも知っているし、『みなかみ温泉』のことも、高名な小説家があることも知ってはいるが、『水上神社』はやはり『みずかみ神社』であるべきだ(と思った)。

本来学校の方に直接伝えた方がいい(と思う)のだが、takeyamaにして『ちょっと気遅れ』するのでこのブログで『遠吠え』で『お茶を濁して』おく。
どなたか『中学校に伝えてくれないか?』なー・・

ついでにいえば、『静の桜(しずかのさくら)』に関して、『歴史と民話の境目』がちょっと気になった。
民話と歴史が一緒になっては困る。

とかく『近頃の少年少女』達は、『霊』とか『超能力』の世界に『はまりやすい』傾向がある(と思う)。
だから、周囲の大人は『注意・注目』して行かなければいけない。

『架空の物語』が『実際に有ったこと』と混同されてはいないと思うのだが・・・
ちょっと気になる。

分を超えたこと

このブログの本質を外れたような記事を書きこむことが増えてしまった。

この辺でこのブログの能力を超えてしまったような記事を整理しておこうと思った。

『分を超えたこと』のカテゴリーを追加して整理した。
歳を重ねて思考の幅が狭くなったかもしれない。
本人は『正義』だと思って書きこむのだが・・・

追加したカテゴリーはtakeyamaの能力を超えた部分です。独自の取材能力があるわけではなく、マスコミの情報をネットなど参考に自分で考えて書きこんだもので、その辺を承知して読んでください。

起訴イコール有罪ではない

前に検察審査会の決定による起訴は従来の『起訴の概念』とは違うことを検察審査会による起訴のブログで話題にしたことがある。

その『趣旨を判ってくれた?らしい』朝日新聞の社説が出た。
昨日話題にした。
社説はこちら(10月15日)だが、いずれweb上からはなくなってしまうから全文をアップしておく。

検察審査会―無用の疑念防ぐ工夫を
 小沢一郎氏に対する強制起訴の議決を受けて、民主党内などから検察審査会の審査のあり方や制度そのものに対する疑問や批判が出ている。

 無作為に選ばれた市民でつくる審査会が「起訴すべきだ」と2度続けて判断した場合、強制的に起訴となる。この制度は、国民の司法参加を進める方策として昨年5月に始まった。

 これについて、朝日新聞は次のような主張や提案をしてきた。

 ▽検察の起訴のありようを市民の立場からチェックする意義は大きい。

 ▽一方で、議決の理由を見ると、結論に至る過程がわかりにくいものや、感情が先走り気味の記述もある。審査会には、権限の重さを踏まえた判断と説明責任が求められる。補助する弁護士や事務局の力量向上が必要だ。

 ▽社会も「起訴イコール有罪」という見方を改める必要がある――。

 こうした立場に変わりはない。

 「専門家である検察の判断を素人がひっくり返すのはおかしい」という声が今回も聞かれる。だが、専門家の判断が、主権者である国民の良識や感覚に照らしてうなずけるかどうかを点検するのが制度の目的だ。「素人は危うい」との考えを突き詰めれば、民主主義の否定になりかねない。

 一方で、審査会側の対応に問題がないわけではない。

 小沢氏の例では、議決日が民主党の代表選当日、議決書の公表はその約3週間後だったため、様々な憶測を呼んだ。関係者によると、日にちが重なったのは偶然で、議決書の作成と確認に一定の時間がかかったという。

 こうしたことは事務局がきちんと説明するべきではないか。審査の回数、日時など外形的事実も隠す必要はないはずだ。任期終了後、本人が同意すれば審査員が会見し、評議の秘密に触れぬ範囲で感想を語る機会を設けることなども、今後の検討課題だろう。

 審査の中身に対する批判には、議決の内容を充実させることで応えるしかないし、判断の当否は公開の法廷で争われる。そうした核心部分とは違う、事務運営などをめぐる疑念には、事務局の人事や予算を担当する裁判所が対応して解消に努めるのが筋だ。

 立法段階で見送られたものの、この1年余の経験を踏まえて考えるべき点もある。例えば、強制起訴の議決をする際には、起訴を申し立てられている側に意見を述べる機会を与えるようにしてはどうか。審査の公正を担保し、制度への理解も進むだろう。

 検察官にかわって起訴手続きをとる弁護士や補助弁護士の推薦にあたる各地の弁護士会にも、適切な人選と候補者の育成を求めたい。

 せっかく生み出した制度だ。改革の針を逆戻りさせず、育てるための議論を深めなければならない。


 『社説』と言うのは単なる記事ではなく、社を代表する意見だから大マスコミ朝日新聞の社としての取材姿勢でなければならない。
 この『社説』については評価するべきことがある。
でも過去の記事の姿勢や特に社説との齟齬を説明してもらわなくてはいけない。

10月5日付の社説は次のとおりだった。
もうwebにはアップされていないので『某ブログから拝借』した。

『小沢氏起訴へ―自ら議員辞職の決断を 
小沢一郎・元民主党代表は今こそ、自ら議員辞職を決断すべきである。

 小沢氏の資金管理団体の土地取引事件で、東京第五検察審査会は、小沢氏を政治資金規正法違反の罪で起訴すべきだと議決した。

 この20年近く、常に政治変動の中心にいた小沢氏は、近い将来、検察官役を務める弁護士によって起訴され、法廷で有罪・無罪を争うことになる。

 審査会は議決の要旨で、秘書に任せており一切かかわっていないとする小沢氏の説明について、「到底信用することができない」と述べた。

 疑惑発覚後、世の中の疑問に正面から答えようとせず、知らぬ存ぜぬで正面突破しようとした小沢氏の思惑は、まさに「世の中」の代表である審査員によって退けられたといえよう。

 今回の議決は、検察が不起訴とした事件について国民は裁判所の判断を仰ぐ「権利」があると書くなど、制度の趣旨に照らして首をかしげる部分も見受けられる。だが、検察官から起訴に踏み切る際の基準について説明を受けたうえで、その基準に照らしても不起訴処分はうなずけないと結論づけた。その判断を重く受け止めたい。

 いったんは検察が不起訴とした事件であり、公判がどのように推移するかは予断を許さない。

 小沢氏は先月の民主党代表選の際、強制起訴されても「離党したり、(議員)辞職したりする必要はない」と語った。確かに有罪が確定しない限り、「推定無罪」の原則が働く。

 しかし、そのことと、政治的な責任とはまったく別問題である。

 小沢氏は党幹事長だった6月、当時の鳩山由紀夫首相とともに、政治とカネの問題の責任を取り「ダブル辞任」した。刑事責任の有無は別にして、「クリーンな政治を取り戻す」(鳩山氏)ためには、それが避けられないという判断だったはずである。

 わずか3カ月後に代表選に出馬し、民意の厳しい批判にさらされたのは、政治責任に対する小沢氏のいい加減な姿勢が問われたからにほかならない。

 小沢氏が今回、けじめをつけなければ、政権交代に「新しい政治」を期待した有権者を再び裏切ることになる。

 離党したとしても「数の力」で党外から影響力をふるうなら同じことだ。

 小沢氏の師、田中角栄元首相はロッキード事件で逮捕され離党した後も、「闇将軍」として大きな権力をふるった。師の轍(てつ)を踏んではならない。

 小沢氏は政治改革の主唱者の一人でありつつ、「古い政治」の典型的な体現者でもあるという二面性を持つ。ただ、民主党を鍛え、政権交代を実現させた功労者であることは間違いない。

 であればこそ、その業績の歴史的意義をこれ以上損なわないためにも、ここは身を引くべきである。』


社説を読んで、検察審査会起訴の狙い、議決の内容が『裁判で白黒をつけるべきだ!』と言う部分を読み飛ばして、従来の思い込みから来る『ずいぶん感情的な社説だなー』と思った。

だが、こんな姿勢を『今後転換するのであれば歓迎』だ。

しかしその姿勢は胡散臭い。それは今回の社説のこの一節
『・・・主張や提案をしてきた。・・・こうした立場に変わりはない。』10日前の社説と今回の社説が同じ立場だとするとこの言論機関の論調はなんだ!
何のことだかが判らない。
ちょっと格好は悪いが、過ちを改めるのは恥ずかしいことではない。
思い切って過去の姿勢を反省し、『社説は誤りだった!』と発言しないと、この新聞の信頼は回復しない。

新聞は『中学2年生レベルの学力、感性』で作るべきだと聞いたことがある。

『説明責任!』といつも言う以上、わかりやすくしっかり説明してほしい。

まだ終わってはいなかった

前に『検察審査会が信用できない』ことを書いた。

ちょいちょいこのブログに興味を示してくれる数少ない読者の皆さんは、ここ2日のカウンターの数字に異常を感じたと思う。
訪問者が急増した。通常は30人足らずなのだが・・・

この記事阿修羅のコメント(コメント24)が反応し、そちらを経由した訪問者が急増したもの。

そして、『検察審査会のいい加減さが増幅される記事』が出た。
再訂正された記事

この記事だけを見る限り納得される方もいると思うが、そもそも33.91歳の根拠が怪しいことはすでに書いた通りで、間違った内容を調べたら43.27才になるはずだが、『そうでした!』では都合が悪いから『基準日を変更した!』と後付けの理由づけを『もっともらしくつけた』ものだと思う。

ますます『会の存在や運営に疑問が増える』だけだ。
そしてこんな『胡散臭い会』が『実質的にこの国を支配』する。

さすがに『朝日新聞も、まずい!』と思ったのだろう。こんな社説を書いた。

審査会には、権限の重さを踏まえた判断と説明責任が求められる。補助する弁護士や事務局の力量向上が必要だ。としてある。

こういった社の理念からすると、後付けの理由を臆面なく紙面に載せるのはおかしい。

平均年齢を「30.90歳」から「33.91歳」に訂正したばかり。報道機関から「どの時点の年齢か」との問い合わせを受け確認したところ、任期6カ月の審査員の「就任日」で計算していたという。と記事にあるのだが、33.91歳から34.55歳への再変更は『就任日と議決日』の違いではないことは、このブログではもちろん、他(マスコミではない!ことが不幸だが)でもいっぱい指摘があった。

それを姑息な手段で『基準日のことに振り替えた』のだが、これを承知でもっともらしく記事にする姿勢は『朝日新聞のもっともらしい社説』自体の信用を失なってしまうだけだ。

民衆をだましても『関係者の力量』は向上しない。
真実を報道しないでどうする。

ついでに社説のことに言及すれば、▽社会も「起訴イコール有罪」という見方を改める必要がある――。
とある。

社説の通りだとすれば『小沢辞職や小沢離党』を『自ら促し』たり、それを『あおった』りすることはおかしいし、他からの声にブレーキをかける論陣を張らなければならないはずだ。

すぐに『馬脚を現すご都合主義』を批判する。

検察審査会の年齢を訂正して発表したのだが・・これはおかしい

変な記事が出た
いずれ削除されるような気がするから記録しておく。

<検察審査会>小沢氏議決の委員年齢訂正 平均33.91歳
毎日新聞 10月12日(火)21時21分配信
東京第5検察審査会の事務局は12日、政治資金規正法違反(虚偽記載)で小沢一郎・民主党元代表を強制起訴することを決めた「起訴議決」(4日公表)にかかわった審査員11人の平均年齢を「30.9歳」から「33.91歳」に訂正すると発表した。事務局の担当者の計算ミスが原因で、事務局は「誠に申し訳ない」と謝罪した。

 事務局によると、平均年齢を計算する際、担当職員が37歳の審査員の年齢を足し忘れ、10人の合計年齢を11で割るなどしていた。議決公表後に一般市民らから「平均年齢が若すぎて不自然ではないか」などと問い合わせがあり、再計算したところミスが判明した。【和田武士】

10人の合計年齢を11人で割ってしまったというのだから、30.9歳ということは10人の年齢の合計は340歳(30.9×11=340)、これに37を加えると11人の年齢合計は377歳、11人で割ると34.27だから平均年齢は34.27歳になるはず。11人の平均年齢が33.91歳の発表は勘定が合わない?
(33.91×11=373)

相当『胡散臭い検察審査会』だと思っているのだが、馬脚を現したか?
なんの疑いもなく発表するメディア。

つじつま合わせのボロが出た?
こうなれば『どこのどなたか?』まで発表しないと信用できない!

審査会の平均年齢が、全有権者の平均年齢とは大きなかい離があって、第1と第5審査会の年齢差が飛ぶ抜けて違い、結論もかけ離れている。

そんな検察審査会と、それを仕切る事務局(検察)、それに便乗するマスコミにかき回される日本の現状。

車のエンジンがかからない

①カーナビは表示されるのだがエンジンがかからない!

②バッテリーが上がったのかなー、エンジンがかからない!

棚田作業、稲刈りの手伝いに来てくれた御仁は立派な車を使っている。
農作業に軽トラックを使ってもらった結果自分の車は庭に放置されたのだ後ろにあるtakeyamaの車を出す用事が出来た。

『スイッチを押せばエンジンがかかりますから!』と持ち主には告げられていたのだが・・・
さて困った。
カーナビの画面が出るし、例のように『何かとしゃべる』のだが、いわゆるエンジンが反応しない。
①はtakeyamaの体験

一方②の方は軽トラックを乗り出した御仁の方の体験(話)。
仕事が終わって
軽トラックはマニュアル車、オートマ車は駐車位置にギアがないとエンジンがかからないのは当たり前だからマニュアル車のギア位置をニュートラルにした。
『焦りましたよ!バッテリーがあがってしまったのかな?』エンジンが全然反応しない。
『製造者責任法』で2重の安全性を確保するため、クラッチを踏みこまないとエンジンがかからないように設計してある。
オートマ車にはクラッチがないことも影響したのかな?
マーこっちはほどなく対応できて無事勝ってきたのだが・・・

さて①の方。
必死に鍵穴を探したのだが・・・
あきらめて持ち主が帰るのを待った。

感の好い方は気がついたかな?
この車はHV車、いわゆる『エンジンはもうかかっていた』状態。
ギアを入れてアクセルを踏めば動いたはずだった。

とんだところで『時代遅れ』をさらけ出した。
『こちらの常識!』が通用しなかった瞬間。
それぞれの生活環境が違うと常識も違いがある。
『それぞれの国語(言葉)を勉強しあわないといけないねー』と話しあった。

異世代交流や、異地域間交流は面白い発見がある。

検察審査会による起訴

『起訴』という言葉は『文字的には訴えを起こす』と書く。

従来『起訴は、すなわち犯罪と言う雰囲気』が『主にマスコミによって作り上げられ』てきた。
そのことを変えなければいけないようだ。

『起訴』という言葉が『訴えを起こす!』ことである以上、これがそもそもの出発点にすぎない。

今までは、犯罪の疑いがあり、それが相当以上確実である場合に限って『裁判と言う手続き(起訴)』が始まる。
相当慎重に手続きが始まるのでないと『恐怖社会』になってしまう。
一般市民の人権が守られないのだから当たり前のことだ。

その意味で、昨日発表された小沢事件に関しての検察審査会の結論に対しては、裁判が終わるまで『国民は有罪扱いするべきではない』とあらためて思った。

件の検察審査会のまとめは次のようになっている。

「検察審査会の制度は、有罪の可能性があるのに検察官だけの判断で有罪になる高度の見込みがないと思って起訴しないのは不当であり、国民は裁判所によって本当に無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利があるという考えに基づくものだ。そして嫌疑不十分として検察官が起訴をちゅうちょした場合に、いわば"国民の責任において、公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけようとする制度であると考えられる」。

検察が起訴した事件の有罪率は相当高いようだが、例の郵便不正事件は検察の見込み違いが明らかになって無罪になり、しかも証拠の改ざんまで明らかになった。
ちなみにそれが9月21日。
これより1週間前の9月14日に検察審査会の結論が出ていたことになる。
特捜部の集めた調書のでたらめ振りが明らかになる前の結論だ。

同じようなことが鈴木宗男氏の最高裁決定、10月4日にもあると思う。

前の福島県知事は収賄疑惑で知事でなくなったが、高裁では実質的な無罪判決がでた。でももう『知事ではなくなった』。

選挙で決まる者の場合『本当のことが判っても後のまつり!』になってしまうことがある。
『マスコミに踊らされてしまう有権者』や『マスコミに誘導される世論と称されるもの』の危うさに戦慄を覚えている。

村木事件で証拠隠滅を図ったされる者の上司が『取り調べの可視化を訴えている』という報道もある。
『検察が正義だ!』『マスコミ報道がすべてだ!』は『怪しいと思っている』takeyamaです。

検察と言う専門組織が有罪にはできにくいという事件(不起訴)を、裁判で白黒つけろ(起訴)と言う以上、裁判の結論が出るまでは『推定無罪』が保証されなければいけない。

起訴で政治家の政治生命が終わるようなことになってはいけない。
起訴されたから『離党だ!』『議員辞職だ!』と言う声が出ること自体がおかしい。
『政治責任』『道義的責任』などと『したり顔でうそぶく議員やマスコミ』に大いに違和感を持つ。
これはもう権力闘争だ。

一見もっともらしい『国民感情を裁判に生かす検察審査会制度』だが、一般の国民がその危うさに気がつく時がきっと来る。

重ねて言うのだが、検察審査会は裁判ではない。
今いろいろの問題が噴出している検察の作った調書(作文)が元になっているだけで、弁護側の主張が入ってはいないのだ。
疑惑の△印がいつまでも続いて、結局は『小沢氏が政治的に抹殺されることになる』ことを国民の一人として恐れる。

たしかに勝ったのだが・・・

市が逆転勝訴!と見出しが躍る。

勝ったからおめでたいのか?
勝ったから何が利益になったのか?
勝ったから何が市民益になったのか?

皮肉なことだが裁判に負けた方が、『3人の市民(どうも1人は松本市に転出したらしいから2人かな?)以外は』金銭的には儲かった。
負けた方が、多くの市民の市民益にはつながった。

1審の判決に従って、『さっさっと損害賠償請求した方がいい』ことは前に書いた
その場合相手側からは民事での訴えはある(とは思う)のだが・・

『市の主張が認められて満足!』なのは『市ではなくて、市長であり市役所と言う行政機関だけ』であることをはっきりさせておくべきだ。

報道からの推察だが(判決書の本文、全文は見てないので)元々の訴えは、『①、市には当時の関係者(前の市長など)に対して損害賠償請求するべきだ』『②、設計業者は損害を補償するべきだ』の二つがあって、『②、設計業者の分』については1審の判決を完全に(近い形?)覆したのだが、『①、市は旧関係者に損害賠償請求すべき!』の関しては1審の判決を否定した理由が『その手続きが適法でない、期間が超えている』であって、本質の問題『損害があったかどうか?』については『判断が明確にはなっていない(ようだ)。

市の主張『損害はなかった!』と声高に宣言するほどの根拠は示されていないような判決(のよう)だ(と思う)。

少なくとも『適法な入札ではなかった!』ことは明確で、行政に対する信用失墜が回復されたわけではないし、裁判費用の相手側負担にも控訴では触れていたはずなのだが、報道にはない。

いずれ市の広報などを通じて『勝訴は報告される』はずだが、裁判費用の市の負担についても報告されるべきだ。
takeyamaの狭い知識での裁判費用とは『裁判手続きに要する印紙代程度』のことで、『裁判に勝つための費用は裁判費用とは言わない(と思う)』。

『弁護士報酬』や『後付けの比較設計等の市の費用負担』等、裁判に伴う経費(実質的な市の損害額)も報告するべきだ。
公式な損害額は計上されなくても、実質的な損害額は多大になるはずだ。
今回の裁判が『行政訴訟の控訴であって、純然たる民事訴訟ではない』からそんなことに触れてはいない。

変な公務によって『行政への信用失墜』、変な公務がなければ『本来はいらなかった経費負担があった』ことは厳然たる事実だ。

市の議会は議会基本条例を作って開かれた議会を標榜している。
立場やスタンスが違う個々の議員の有権者への個別の説明が重要で、それぞれ『違った角度』からの『いろいろの突っ込み』が事態の『正確な情報を伝えること』につながる。
今日の岳山
今年の目標、復活再生を、雪の下で待つ『わかたの棚田』,11:2:2
11;2わかたの棚田  23年新春 自宅2階から山小屋風 1月3日朝 山小屋?  夕焼け(22;10:29)庭から鹿島槍を 夕焼け 鹿島夕日
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山留生を相手に地蜂をほる。

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通称「かっちゃ」
山留生は「農家の父さん」
トラクターは退職金で買った。
年金で肥料を買うが、職業は農業(のつもり)。

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