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総論と各論

5月の30日にごみ処理に関する市民懇談会があった。

もう古いことで改めて書くこともないのだが、市の議会でtakeyamaの発言を取り上げた議員(16日7番目の一般質問)がいたから、ちょっと説明を・・・

懇談会は『市民の声を聞いたことにする』いわばアリバイ創りの趣があるのだが、とにかく25人ほどの地域の市民が集まった。

主催は市役所(市長)だが、地域の自治会長も開会時に挨拶してほしいと依頼された。
主催との関係でちょっとした戸惑いがあったのだが、とにかく『地域の市民の声を聞くと言われるのだからマーみんなで意見を言いましょう!』といった趣旨の挨拶をした。

懇談会を主催したつもりはない。

冒頭、今までの経過を含めて今後のことも説明されたのだが『この説明では、総論賛成、各論反対が起きる』と発言した。

説明も資料もごみ処理の経費比較に重きがおかれ、本来話題になるべき『ごみ処理に伴う環境負荷の面』が薄いものだったからだ。

合併前、ごみ処理組合の一部事務組合に籍を置いたことがあって、そのころ感じた市のスタンスがそのまま引き継がれていると思った。

市のごみ処理施設は、とにかく『迷惑施設を地元に受け入れてもらう』ということ尽きている。

今から10年位前、ダイオキシンの話題が盛んだった。
今の『ごみ処理広域化計画』の前段が語られたのだが、件の一部事務組合を担当した3年間に市の担当課長は3人変わった。
10年後のごみをどうするかを語るものはなく、『22年に山下地区との協定は切れる。』『他村のごみは市民感情から受け入れられない』と語るだけだった。

『経費を節減するごみ処理』が首長と担当の命題で、『お金がかかって・・・』が共通語になっていた。

まだ美麻も八坂も村として存在し、どちらも大?大町市にはごみを受け入れてもらえないから、美麻は白馬小谷の仲間にしてもらい、八坂は新町などと一緒になったのだが、その炉がダイオキシンの暫定値をクリアーできないで廃炉にするから困った。
当時の市は前述のように『他市町村のごみは市民感情が・・・』だったから長野市の炉を使ったこともある。

皮肉なことに『他市町村のごみは市民感情から受け入れられないはずの市』が、松本市にごみを受け入れてもらう事態もあった。

地方事務所の屋上の空気中のダイオキシン濃度を測ったら、北安曇の分が県下で一番高く、『大町のごみ焼却炉から排出』されるのではないか?というのが『ごみ担当職員のいわば公然の秘密』状態だったことがある。

『経費が!』でなかなかダイオキシン対策が進まなかったのだが、ついに暫定基準を超えてしまい、操業停止になって松本にごみを運んで対応したことがある。
余談だが、暫定基準は今の基準の100倍近い数値で、気の小さい人は卒倒する位の値。

測ったらいきなり暫定値を超えてしまった炉は県下に2~3炉あったのだが、あれだけ問題が大きくなってから、その後に対策もせずに暫定数値をクリアーできなかった炉は県下にはない。
必要な経費を惜しんで、恥を県下にさらしたから、白馬小谷を含めて、他町村は市のごみ行政のお粗末さを実感している。
付近のごみ処理担当者の間では周知の事実だ。

船頭多くして、船浅瀬を渡るの類で、今回の『飯森断念』の底流に『市への不信がある』ことを知らなければならない。
当時から『22年新施設稼働』とは言われていたのだが、『大町はだめだな!』と見通していた白馬の施設組合は、広域化の議論と並行して施設の延命化にすでに取り組んでいた。
その分の経費を大町が負担しても、なお他村に施設を造ってほしいというのが大町の行政関係者の意向だった。
そして今また『市単独で!』とも言いだした。各論でまた大騒ぎになることが予想されるのだが・・・

大北の盟主を標榜する市だが、凋落していく名家の風で、盟主たる威厳もおおらかさはなく、自己の主張を振りかざしているに過ぎないことを、議会を含めて市は感じたほうがいい。

懇談会で言ったtakeyamaの発言は、経費からごみ処理施設を論じるのではなく、適正処理の方向からそれを論ずるべきだとしたものであり、そのために一定規模のごみ量が必要で、その面から結果的に広範囲を対象にごみ収集をして、場合によっては産業廃棄物の一部も一緒に処理して地域全体の空をきれいにすべきことを主張したものだ。

自治会は市の行政の一部だなどという意識はtakeyamaにはない。
自治会は協働の一方の柱だが、行政機関とは正当に対峙していると自負しているのがtakeyama流で、そのことを実感している市民や行政関係者が多い(と思う)。

確かに懇談会の開会に際して挨拶はしたのだが、会を主催した風のことを言ってはいない。
『行政の意向を聞いて自治会長が発言したごときの質問』は『げすの勘繰り』の類で、不明を恥じてもらいたい。

これは『takeyamaの方の、げすの勘繰り』だが、美麻と八坂が大町市になったから『大町単独で施設を造るといっても用地はあるから大丈夫!』では困る。
そこには『ごみを適正に処理する視点』がない。

ごみ処理施設のことは、総論より各論から入ったほうが結果的にいいかもしれない。

いわく、中心市街地活性化のためにごみ処理施設を造る。
いわく、旧東洋紡跡地の有効利用のためにその場所に造る。
etc・・・

美麻のような山間地では、ごみ程度のことは自己責任でできるのだが、3人の老人を看取った身で思うのは紙おむつの処理で、行政機関がそれをまとめて処理してくれて大いに助かった。
入院もしてみたが、病院から出るそれも相当になる。
介護や看護の施設の量も推定できる。

生ゴミの減少対策が、主要なごみ対策だなどと思っては困る。

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快挙

地域にとって有史以来のこと。

学校が統合されて30年を超えた。
もう『新統合学校小中学校』などという言葉は一般的でなくなったのだが、小中2校を統合することを決めて、それを行って、新学校の設備や内容の充実を第1にしてきた人間が残り少なくなった。
そんな人間から見た感慨。

山留生は15日に農家入りしたのだが、いつもの野太い声が、一層しゃがれて、この辺でいう『げーろ(蛙)をひきつぶしたような声』をしている。

そのわけは・・・
13日に郡球(正式には北安曇地区中学校体育大会というのだが、関係者の間では今でも郡球で通用している)があって、美麻中学校の野球部が優勝して中信大会に進むことになった。
中学生にとって一番グレードの高い、正式な大会でだから相当のこと。

中信大会に進んだことは前にもあったが、優勝は学校始まって以来のこと(だと思う)。
それ以前の美麻村時代の南北2校時代を含めても初めての快挙(だと思う)。

去年『こんなことを書いたこと』があったのだが・・・

今、中学校はちょっと男女バランスが崩れているせいもあるのだが、野球部員が多くて(バレーボールが少ない)23人もいる。
ベンチ入りが20人までだとのことだからベンチに入れない部員がいたことになる。
運動部では当たり前のことなのだが・・
美麻では珍しい。

そんな状況を考慮したのか、大人から見れば些細ないたずらの類いのことを捉えて、試合出場を停止された部員があった。
練習の緊張感を継続する工夫、だったらしいことがしのばれる。

緊張した試合が続いたようだ。地域に6校あるのだが、4試合を全勝した。
松川に勝って、仁科台、白馬を破り再度松川に勝ったそうだ。

野球好きの老人がいて、自分は地下足袋をはいて野球をした世代。
われわれの『あこがれの存在』だったのだが、ついに男の子に恵まれなかった。
今回、娘の子、孫の試合に訪れて孫(3人かな?)の活躍に涙を流したと言う。
その場に居合わせなかったのだが、それを聞いたこちらも、涙腺があやしくなった。

昨年、一昨年、野球に熱心な山留生がいて、特に一昨年1年生の彼は美麻の野球にあきたらず(多分)に地元に帰ってしまったのだが、どんな感想かなー

家の山留生は声をからして応援したらしい。
ただ一人の女の野球部員でベンチ入りはできたようだが、参加の役割は例の『声だし担当』
相当、それに頑張ったらしい。

そのことで山留生らしいエピソードが発生したのだが、いずれ・・・


お酌禁止?

天下の朝日新聞も記事がなくなってきたのかなー
お酌禁止令 長野県』の記事

takeyamaは亡くなった『親父に仕込まれた?酒飲み』で、職場では『横綱の称号?を得た』こともあるのだが・・
蛇足だが、横綱の呼び名は単に酒量のことだけではなく、その酔い方や、その時の人格も含まれるているのだと、自賛してのことだが・・
もちろん、今はその風格?はない。


『酒は自分のために飲むのでは、他人に気分よく飲んでもらうもの』だというのが親父から仕込まれた酒のマナー。

宴会には、相手から気分よくいっぱい飲んでもらう。
だからもう終わりだという雰囲気を出すことを嫌がって、徳利の中身を確認するために振ってみるようなしぐさを嫌ったし、注いで器にいっぱいにならないような状況を作り出すことを極端に嫌った。
だから徳利を持った感じで『残りを予想する感性?』を磨いた。

だから『2人の姉は、今でもお酒の燗をなかなかやめない傾向』があって、普通の奥様方のようにそちらからのブレーキはなくて、こっちが相当頑張ってやめないと度を過ごしやすい。

今は誰でも飲めるのだが、少し前までは酒はとんでもないぜいたく品で、酒で身上を無くした逸話は現実にあった。
親父は、自分が酒好きだったから他所でも気分よく飲みたかったということで、『もう終わり!』という雰囲気を嫌ったのだと思う。

だから『自分のお酒を自分で注ぐ』ということはなかった。

食料を含めて、酒も全体的に不足していた時代に生きた。
相当のすすめ上手で、その洗礼を義兄(弟)が受けた現場に居合わせた。
だから『親父に仕込まれたtakeyamaの酒のルール』に『手酌』というのはない。

『酒は(宴会の)は相手に注がれて飲むもの』だった。『宴会とはそういうもの』というのが『信州の酒文化』(だと思っていた)。

まー、県庁のように『宴会が仕事がらみ』でその『機会を業務に使おう』として『ご機嫌取りに使ったりしようとする』から、『お酌禁止令のようなことがもてはやされる』のだと思うが、『ことの本質は別ではないかなー』というのがtakeyama流。

副知事は2人制だが、言い出した方は信州人ではない方。
別の副知事はO市の長だったのだが、そのころ宴会の20分ルールを提唱していた。
『20分間は自席で談笑し(料理をしっかり食べて)お酌には出歩かない!』で、これにはかなりしっくりきた。
お酌したり、されたりで『料理がなんだったかわからない。ほとんど食べずに酒だけ』のことが多かったから。

前に書いたように、わが辞書に『手酌』はないから、『空っぽの盃をさりげなく、大げさにすすったり、相手にお酌したりして、相手が気づくチャンスを与えたりした苦労?』はどうなるのかなー

手酌する相手に『しまった!』と思う感情も過去のものになるのかなー
いずれ『宴会の現役ではなくなってきた』から『どうでもいい』のだが、『そんな宴会する意味があるのか』なー、時代の変わり目にいる感じがする。

takeyamaは『お酒を無理強いしたことはない(と思っている)』のだが・・・
そんな『勿体ない事』はしない。

神宮大麻

いまさら聞けない!

産土様の氏子総代になって、すでに永年勤続の表彰を受けた。
伊勢神宮のお札『天照皇大神宮』のことを『正式?には大麻』というらしい。
神官の口から、たびたび大麻という表現がでるが、周りの者が平気でいるから『ずーっと平然としていた(いた風を装っていた)』が、内心『?』であったことは事実。

氏子総代などといっても、いわゆる『神道を理解している』わけでないし、『神道を信仰しているか?』と問われれば『?』だ。

アイターン者で、およそ神道に傾斜しているとは思えない御仁が、やはり氏子総代としてかしこまっているから、ちょっと冷やかしたら、『地域の産土様は宗教などではない。』マー『一種の民俗行事の類い』だと喝破したから、それ以後takeyamaもそれを踏襲することにした。

朝日新聞に『お札のことを神宮大麻と言っている歴史があるのだから、麻薬を規制する大麻取締法の名前を変えろ』という記事が出た。

神宮大麻は『年末の大払祭』のとき、産土様のお札と一緒に頒布される。
それに先駆けて『新嘗祭』のころ、地域まとめての『大麻頒布式』というのもある。
と言ってもそれなりの料金は伴う。

神社の会計の係だから、神官の請求よって『農協の窓口で振り込みの手続き』をしたことがあったのだが、『法律に違反することは困る』と『窓口嬢?に拒否』された。

神社会計の貯金払い戻し伝票と神官側会計への入金伝票へのコメントに『しっかり大麻代と記入した』のだから、びっくりしたらしい。

大麻汚染は相撲界にもあり、大学にも広がっている。
マーびっくりしたことは納得できた。
説明をして納得してもらったのだが、『お札と大麻が一緒』だと普通に思う者は少ない。

まさか法律の名称が変わるはずはないはだから、神宮大麻の歴史や文化を丁寧に説明するべきだろう。


棚田を復旧できるか?

棚田はすでに『業の媒体としての機能』を失っている。
けれども最近、環境保全、景観の保全、災害予防、水資源維持などの観点から注目され始めている。

美麻八坂線沿いの『わかた地区の棚田』は、棚田の規模はともかく、北アルプスを借景にした景観が特徴で、あの銀色のシーズンの主人公の居宅に設定された小山邸の下部に連なっている。
爺が岳、鹿島槍、五竜岳、唐松岳と続く八方尾根、白馬槍、杓子岳、白馬岳、白馬乗鞍に正対し、代掻き馬(大小)やにわとりなどの雪形も正面。

かっては立派な?棚田だったのだが、このところ耕作を放棄した部分が多い。

昭和50年の終わりころ、おやじが「もう、俺にははきつくなったで、どうするや?」と聞いたから「おやじの生きがいでやっていたんだから、おやじがきついならやめるさ!」と答えた。
実際当時保養センターの責任者になっていて、不規則な勤務でどうにもならなかったてし、すでに棚田の稲作は『趣味』でなくてはできなかった。

かみさんは村内に勤めて、給料は農協の口座に振り込まれていた。
百姓の諸経費は『現金の存在するそちら』を使って処理されることが多かったから、かみさんは『稲作をやめたら、私の口座にお金が残るようになったよ!』といったのがある種衝撃だった思いがある。

あの団地?では早い耕作放棄だったから、内心忸怩たるものがあって、『葦原を正視できないような雰囲気』があった。

10年ほど前、『棚田の持つ多面性な効果に着目した山留生の個人研究』があって、当時の村長をして『目から鱗が落ちた!』言わしめたことがあったのだが、その後『脱ダム宣言』もあって、一気に棚田が注目されてきて、大袈裟だが、文化遺産の継承の趣さへある。

去年から地域づくり会議のテーマの一部にもなっているし、どんな様子か『棚田復活に少し手をつけ』てみることにして、もう今は『体力より機械力の年代』だから、トラクターが田圃に入らないとやる気にもならない。
まず取り付け道路と、わせんげ(上側溝のこと)を掘ることを業者に頼んだ。
3畝程のかっての田圃を2枚。
3万円ちょっとだったから、ちょうど『定額給付金を充当』したことになった。

さて、昨日初めて起こしてみた。
様子が美麻wikiにアップしてある。
他は去年のうちに除草剤で葦を処理してあるのだが、処理しない方。

取り付けの道路は角度は急だが、まー危ないほどでもない。
トラクターは後輪部分が無限軌道で比較的安定感がある。

で、耕転はできたのだが、『泥田状態』とりあえず畑にして『公民館の目指せひまわり10,000本』と行こうと思ったのだが難しそう。
かといって田圃への復旧は、長い年月に水が勝手に流れて、その結果水平が相当怪しく『水がたまりそうにない』。

難しいことに首を突っ込んだかなー、何とかの箱を開けてしまった感じがしないでもない。

耕していると昔のことが蘇って、棚田だから、田んぼの位置によって状態が違うのだが、ここは深くてつもるぞ!、ここら辺は硬くて浅いはず!とほとんど30年前と同じで自然は簡単には変わらないことを実感。
ちょっとした感慨がある。

まだあとのことが決まらないのだが・・・・とりあえず。
今日の岳山
今年の目標、復活再生を、雪の下で待つ『わかたの棚田』,11:2:2
11;2わかたの棚田  23年新春 自宅2階から山小屋風 1月3日朝 山小屋?  夕焼け(22;10:29)庭から鹿島槍を 夕焼け 鹿島夕日
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地蜂ほり
山留生を相手に地蜂をほる。

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通称「かっちゃ」
山留生は「農家の父さん」
トラクターは退職金で買った。
年金で肥料を買うが、職業は農業(のつもり)。

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