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ちょっとした昔話

地域の教育力を高めるには『大所高所から』と『自分の子供から』の方向との『2方向』があることを話題にして、そのことが生んだ『ちょっとした昔話』があることを示唆した

山村留学は今の義務教育制度・学校教育法をちょっと斜め読みして成立している。
法律は児童生徒に教育が義務であることを示しているのではなく、その保護者の方に子供の教育を義務づけているのだから、当然保護者の住所地を管理する地方自治体にそれを取り仕切ることをゆだねている。
ちょっと斜め読みして、児童生徒だけに住所があるものの面倒をみるのが山村留学だ。
出発そのものに「まーまー」の部分がある位だから、山村留学に明確な制度としての規定がない。
だから何でも山村留学と言えることは美麻wikiにも書いてある。

昭和が平成になろうとしていた頃のこと。
相当あやしい団体(個人の性格が強かった!)が村(教育委員会)に山村留学だと言って売り込んで来て、児童生徒数が減っていることに神経をとがらせていた教育委員会は、無批判にそれに飛びついた。

その組織は東京都内の電柱に「不登校児来たれ!」「肥満児来たれ!」「地元教育委員会は歓迎している」と言うチラシをはった。

村の子供の親は相当びっくりしたし、とても不安だった。

当時村役場の職員だがPTA会員でもあったtakeyamaは、総会の席でそんなことを話題にして批判し、総会だったから村議会議員を含む村の関係者が大勢来賓として来ていたのだが、会員に対して「みんな注意しよう!大勢来賓はいるが、身内に児童や生徒がいるものはいない!」と発言した。
そんな『山村留学まがいのもの』の導入に、PTA側には何の話もなく進めようとしていた姿勢を批判したものだ。

いたく自尊心を傷けられた議員がいて、村長に報告があったようで、翌日村長室に呼び出された。
『村の職員が村の政策に逆らうとは何事だ!』と叱責されたから、『児童生徒の関係者抜きの政策決定はおかしい!』『職員でも村民としての意見はあっていいはずだ!』と論争した。

任命権者たる村長は『厳重注意処分』にするとtakeyamaに告げた。
もちろん単に口頭だけ。
公務員の懲戒処分は『戒告処分』が最低であり、その下の『厳重注意は正式な処分ではない』のだが、第3者には『処分した!』と報告できる。
処分された(?)当のtakeyamaにとっては、正式なものではないのだから『処分はされていない』ということになる。
だから『処分されたわけではないが、そんなことを言われたことを聞いたことだけ』にして、総会の発言を取り消すことはなく、叱責されたことを詫びず、反省することもなく部屋を出た。
議会などの席では『処分したことを報告したはず』だが、その後のtakeyamaの『履歴書には賞罰ゼロ』が続いている。

これだけで終われば何のことはないのだが、皮肉なことだがその後教育委員会に職場が変わって児童生徒の減少対策に携わることになる。
その一環で、議会から『山村留学に取り組むべきだとの意見』が強くなった。

このとき、件の事件を大いに参考にした。
『山留まがいのもの』を排除するために、当時隣村で20年くらい続いている『育てる会』の山村留学に限定し、児童生徒の保護者もPTAも入った教育問題懇談会に導入の是非を諮問した。
総会の事件を村長に報告した議員が懇談会の会長、takeyamaが事務局と言う組み合わせはある意味傑作だった。

不安もたくさん語られたのだが、都会の子供はオタマジャクシを見ても感動して対処する。そんなことが今の村が当たり前だと思っている地元の子供が地域を見直すきっかけになるはず、だという当時の校長先生の言葉がきっかけになって、受け入れの方向になり、『一方に子供が少なくて困る親がいて、他方に豊かな自然の中で子供に生活させたい親がいる』のだから困難なことはあっても『育てる会の山村留学を受け入れるべきだ。』と言うことになった。

相当心血を注いだから、諮問に対する答申の骨子は今でも覚えている。
これが地域の山村留学の始まり。

今また、山村留学に対する議論が必要になった気がする。
良い意味でなく『際限なく都会化した地域の子供たち』にとって『ちょっとがまんする山留生の存在』は重要だ(と思う)。
当時は『何と言っても数合わせの側面』が多かったのだが、今は何でも自己完結を目指す『山村留学生の生き様』の方が大事な気がする。

今更こんなことを書くこともないのだが、あの(?)さんに『父さんは、はじめは反対だったのだが、今は推進する立場にいる(からすごい)』と言うようなことを言われた。
だからはっきりしたほうがいいと思った。
『育てる会の山村留学に反対したことはない』し、どこぞの大臣のように発言が揺れたのではないのだ。
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知事側近が自殺

県の任期付き職員になっていた県知事の国会議員時代の秘書だった者が自殺したという報道があってびっくりした。

あの『田中おろしの風潮』の中で『議会を巻き込んで』ずいぶん異常なことがあった。

自分の選挙参謀を副知事にした
その過程で自分の秘書だった者を県の職員に登用することを出し入れして県議会議員を副知事承認に導いて、たいした抵抗がなかったことに味をしめて国会議員時代の秘書を県職員に押し込めた。

結局『今回自殺したものを県職員に任用することが最終目的』だったと推察されたのだが、このブログで06年11月に一定の批判をした実績がある。

ずいぶん『胡散臭い』と思ったから批判したのだが、特別な取材能力を持っていないtakeyamaですら疑問を感じたのだから、しかるべきメディアはもっとおかしいと感じたはず。けれども『それらしい勢いにならなかった』からすんなりいった。

今回のようなことは『その時に想像しなければいけなかった』ことではなかったか。

冒頭の記事の中で県議会の反対があったという記述があってちょっとびっくりした。
事実はこのブログが当時書いた通りで、議会は反対はしていない。どこかの総理大臣と同じで『本当は反対だったのだが、その時は権力者との関係で賛成した』というたぐいの話。

この際『反省をこめて、今後は十分議会のチェック機能を果たしたい』のであればそれを否定する気はないのだが。

もう亡くなってしまったから死の真相は出てこないのだが『政治家と秘書のいつものパターン』ではないかと思う。
相当無理をして『県職員に押し込んだのは事実』なのだから。

ずいぶんジャンプがあって、読みにくいと思うのだがご勘弁を!

地域に山村留学は受け入れられているか?

山村留学のことを根本から考える会が2回あった。
『里親農家がない(足りない)』ことから『それをどうするか?』の過程で出てきたこと。
去年から問題提起はしていたつもりなのだが、ここにきてようやくその機会ができた。問題提起はこのブログ記事。

残念なことなのだが、市にとって『日本の子供を育てる』という『壮大な視点』はない。
市の総合計画に対するパブリックコメントが募集されたから『人を育てる市』とするべきだと提案した(13、特長ある学校づくりで、メンドシーノ訪問と山村留学に関する部分はtakeyamaの提案)のだが、『そのつもりはないと一傑』されたことは、市のHPに公開されている。

だから山村留学は必然的に『市にとって、地域にとって必要な場合』にだけ成り立つことになる。

特に地域にとって『必要で重要なこと』が『地域の住民に理解』されない限り『山留事業の協力者である里親農家の出現は望めない』ことは去年から気が付いていたこと。

地域づくり委員会では『PTAなど保護者の山留の必要性について意見』を聞いてみることになったが、組織の協議が進まないと実現しない。

前に農家体験をしたものが集まって『農家集めの実践活動』をしたのだが地域を回った者からも『地域に必要性が認められているのか?』と疑問が出された。
根本的な問題に入って検討しなくてはいけないことはもちろんだが、それはそれとして、より現実的に『農家集めの実践』を具体的に進めたことは言うまでもない。

地域の教育力の高め方には入口が二つある(と思う)。

ひとつは『保護者が自分の子供を育てるために地域の教育力を高めたい』とする方向からで、片一方は『地域を維持し、発展させるために、大所高所から地域の教育力を高める』方向からだが、後者の勢力が合併によってなくなってしまった。
双方向からのバランスが保たれて、望ましい地域の教育力ができ上がるのだが、

このことについてちょっとした『具体的な昔話』があるのだが、明日にでも・・・

「父さん、知ってる?」

父さん!「ヒロスエリョウコって知ってる?」

もう11年も前になる。当時アイドルだった件の女の子のことを、いたずらっぽい目をして聞いた少年がいた。小学5年生。
『知らないだろうなー』とこっちを冷やかす意図が見え見え。

今朝の天下の朝日新聞のトップ記事が『おくりびとのアカデミー賞の快挙』を報じていて、件の広末涼子さんの顔もみえる。
そんな記事をみて、を思い出したこと。

当時の夜『会議』と言って出かけるtakeyamaに『父さん!ソルマックの在庫はないよ!』と『目が笑って』送り出されたこともある。
『夜の会議は宴会のこと』だと喝破していたわけ。

近頃の少年たちに『こんなコミュニケーション』をとれるものは残念だがいない。
こんな時、こんなに面白い者を人に預けて『こっちは楽しませてもらっているからいい』のだが、『実の親に申しわけないな!』などと思ったものだ。

この春、大学を卒業して社会人になる。就職が決まったそうだが・・・

悩んでいる少年たち

昨日農家に来て、3月1日にセンターに入れば、今年の山留の農家の役割は終わり。
今の時期、少年たちも、その親たちも、来年も続けるか、実家の方に帰って生活するかを悩む時。

農家を含む受け入れする関係者は、『山村留学を自分で選択してきたというプロセス』を『絶対の条件』にする。
何かマイナスの事件があった時に『大きなばね』になるから。

だから、年端の行かない少年たちが『自分で決めろ』と言われて、大いに悩む。

takeyamaの関係した少年少女は14年間で50人ほどになるのだが、多くの彼らが『継続か修園か』で悩んだことをちょっと紹介してみたい。
みんなの参考になるのだから、自分のことを書かれても怒らないでほしい。

収穫祭に個人研究テーマの決定が遅れて、アケビや栗がなくなってしまってから、山の秋の実の研究を発表して、そのことを農家の父さんに指摘されて、『みんなの前で冷やかされた』と頭にきた少年がいた。
『父さんに仇打ちする、リベンジする』と山留を継続することを決めた。

家庭の環境が、誰が見ても親元を離れざるを得ない状況を自覚していた少年は、極めて淡々と中学3年まで山留を続け、周りに悩みを見せることはなかった。
受け入れの関係者すべての気持ちをくみ取るすべを磨いた(身についた?)から、そのすべてに愛された。、少年たち同士ではつかず離れず過干渉にはならなかったが、それが彼の生きる力だったかもしれない。

中学2年生にして『将来は教師になる目的』をもって、その際の一種の『ステータスに山村留学を利用』したかった少年がいた。
だから、積極的に濃密な一年を過ごして、中学2年を終了し、3年生時には自宅にかえって程度の高い高校に入ることにしていたのだが、『いいとこ取りでtakeyamaの修了証は出ないな、苦労が足りない』『高校は入ることより、入ってからが大事だ。高校の程度にこだわることはない』と説いたのだが、結局最後は3年まで続けた。
まじめと一生懸命を丸めたような少年で、がんばることに照れがなかったから『平気で頑張った、ある意味貴重な少年』だったから、美麻の中学に相当のプラス効果があった。
この頃のみんながそれを食いつぶしていないか?が心配。

修園の集いには、これで『山留は終わりの組』にいて、その後の会食会で親の『続けてもいいんだよ!』の言葉を聞いて驚喜乱舞して泣きながら継続を決めて少年もいた。
親の事情を配慮して、心ならずも修園を決めたらしい。相当ドラマチックな展開だった。
そんなことがあるからなのか、相当親子の仲がいいのが山留の特徴。

3学期、センターに入るために親元を出る際に涙を見せて、『今年1年で終わって帰ってくる』と夫婦で話しあったという少年が、雪に感激して、雪に夢中で遊んで、ついに次年度の児童会長選挙に出馬して親の方が『口あんぐり状態』になってしまったことがあった。
もちろん選択は継続。子供はいつでも脱皮する。

修園の集いで『まだ遊び足りないから残る』と宣言した少年がいた。彼の目的は遊ぶことだったのだ。
『目的のない者は山留を続けてはいけない』などと言う、大人の都合の発言にビビることはない。
遊ぶことも今は山留の重大な要素だ。
遊ぶことやいらずらのない子供の方が怖い、と思う農家の父さん。

地元で登校できずに山留を選んだ少女がいた。こっちでは一日も休まずに登校出来たのだが1年で帰ることにしたことに周囲は相当心配した。
中2の相当な美形だが、木登りをして、農家の父さんの『ごつい長靴』をはいて登校した。
帰ることの決断は『山留を逃げるのではなく、親もとの生活への自信が芽生えたから』だと分析したのは、農家の父さんだけだったかもしれない。
こっそり最後の会食会に確かめたのだが、読みが違ってはいなかった。

自分では残りたかったのだが、親が高校と将来のことを心配して中学2年で修園した少年がいた。
農家の父さんとしては、『中学3年は親元で次の高校のことを考えた方がいいと思う』から、大概3年は帰りな!と言う。
でも残りたかった少年は、その後ちょっとスランプになり、回復に手間取った。去年の夏回復した状態を見て一安心したのだが。

山留生は全部自分で決めるのだが、その決断には親の気持ちが相当影響していることにも気が付いている。
家庭の事情や親の事情を子供は気が付いている。
『おまえはよく決めたなー』と言うtakeyamaに『親の気持ちが判るもん!そんなもんだよ父さん(この場合は農家の)』といったのには鼻の奥が『つーン』とした

結局は辞任

世界中に醜態を発信されて事態の重大さに気がつかずに『まだ大臣を続ける』、親分は『続けさせる』と言ったから、問責決議案などと言わずに、『法律の拘束力がある不信任案』を出した方がいい、と昨夜(厳密には日付が変わっていた)書いたのだが、今日のテレビは『結局辞任した』と報じている。

当の大臣もだが、任命責任者の能天気振りに呆れている。
政治的なセンスがおかしい。

イタリアから帰った時点で更迭すればキズが小さかったものを・・・

それにしても政治家の腹芸には感じ入った。

委員会(野党は欠席していたが)で同席していた首相と件の大臣だが、件のご仁を横の席において真剣に本のページを繰る首相の姿がテレビに映った。
テレビが寄るとそれは議員の名鑑、ペンを持ち出して書き込みする姿も映し出した。

『あとのめどはついたよ!』の無言のサインか?午前中

その後、『予算通過後に辞表提出!』などと『御託を並べていたご仁』が辞表を提出して事態は収束。総理大臣の腹芸の効果絶大。

昨日の時点で引導を渡しておけばリーダシップをアピールできたはずなのに・・・
政権浮揚は望めない。

中川さんの醜態

G7の後の記者会見の様子は悲惨だ。
誰が見ても酒酔い状態、隣の人の説明中に隣の大臣の居眠りが世界に配信された意味は大きい。

重大な会議の後の記者会見で、ちょうどのタイミングで2桁マイナスのGDPが発表された。

野党は『可決が確実な参議院で問責決議案』など出すより、『衆議院で不信任決議案』を出した方がいい。

こんなものに『党議拘束がかかるはずはない』のだから、迅速に出して『議員個々の対応を明らかにした』方がいい。

『世界の笑い物になっている状態を打開する』にはそれしかない(と思う)。

支所長は課長級

今夜は地域づくり委員会。
課題を分科会に分けて検討することになったのだが、その内容は、ちょっとむかむかしていたから記録が『?』。だから責任をもった報告ができない。

前にこの委員会の問題点をいくつか書いたのだが、(1,2,3,4、)全然それに触れないで会を進めたから、会の将来のこともあるから問題視した。

気がついていた委員も複数いたようで『会の意向をしかるべき手段で市(市長)に伝える必要性』が多くの委員に意識されたことが『進化』と受けとめで、自分を無理に納得させようと思う。

それにしても『会としての意見がまとまった』ことを意識して、その後は『それを会の原点』にしないと麻生総理の『あの時は自分の意見は実は・・・』になってしまう。

本論はともかく、会の終了後の報告事項から。
4月からの支所の体制の話があったから・・・

1、支所長が課長級に(現在は部長級)
 支所の総務民生課と産業建設課のどちらかの課長が支所長を兼ねる。

 このことについては合併前から決まっていたようです(05年2月20日のこのブログ)。権限を実態的に小さくして「まーいいか?」の世論を作ってきた(ように思う)。

2、支所で管理している市有林を本庁で一括管理。

3、公民館長に嘱託職員を配置。
基本的に、この市は身内にやさしいからいわゆる天下りかな

4、車両管理の一元化
なるべく早く支所をなくすことに腐心しているらしい。役に立たない支所と言う世論が出るのを待っている?

二重の『市民農園の管理棟の管理』を地域づくり会議が受託するようになることが報告された。
今に美麻wikiで報告されるはずだが、地域づくり会議の臨時総会で受託(希望)が決定?
市役所から提案されたそうで、究極の談合かな?
『個人での受託希望』を『完璧に排除する』ことになるのだから、不協和音がでないことを祈るのみ。

炭焼き

毎学期、山留の農家と指導員側が『一杯やって意見交換』するのだが、2学期末のその時は『炭焼きの話題』でずいぶん盛り上がった。

センターは『体験として何度も炭焼き?』をして、『あの父さん』がそのたび指導するのだが、昔それを『業とした者にしては相当忸怩たるもの』があったと思う。

体験が優先だから、窯の都合に関係なく『子供たちの日程に合わせなくてはならない』。
だから多分『これを炭焼きだなどと言ってもらっては困る!』といった心境だったのではないだろうか。

1年に一回、湿って、さめきっている窯で、材料はこの辺では上等の楢材を使っても『製品のできは、残念だが想像できる』。
件の会で『木なんかナンでもイイだ!おんなじことだ!』と自嘲気味に言ったのが心に残った。

体験する側の子供たちも、その周囲も『頭や耳は相当のもの』だから『備長炭とは?』くらいのことは平気で言う。

『続けて2窯は焼かないと!』!と今年は『体験用』の後『おとな用』『指導員用』に『窯の進行状況に合わせた作業を展開』する『炭焼き』をするそうだから参加してみた。

全工程は3日がかりになって、センターとの距離はあるし、あいにく市の連合自治会などと言う変なものも入って、抜けた時間ができてしまった。

一応『業とした時代に近い作業』をしたし、原料も吟味したものが入ったから『ある程度のものが出来た』し、量も一定のものが出来たから『ゴベー(赤く焼けた炭のもとを冷やして炭にする灰のこと)』が足りなくなったほど。

恥をさらすのだが、6年生の時、学校でのいじめの類に嫌気がさして『登校を拒否したことがあった』のだが、死んだ親父はその時「そうか、学校に行くのが嫌か?」「それじゃー仕方がないから俺と一緒に炭を焼くか?」と炭焼き釜に連れて行かれた。

当時は今と運搬手段が全然違うから、材料の近くに窯をついた(つくった)から、そこは当然『山奥で傾斜地』、6年生ともなれば、当時は『もういっぱしの戦力』だから1人で作業することになる。

のこぎりで木を切って、傾斜の山を上り下りして材料を窯の近くに集める。
そうとう参った上に、夕方は4貫目(15キロ)の炭俵を2つ背負って山道を登って、下って帰宅する。

ずいぶん昔で、数えたら55年になる今頃(2月)のことだが、よく覚えている。一発で参ってしまって翌日から学校に行った。
学校の先生とはしょっちゅう一杯やっていた親父だから、裏で相当手をまわしたのでは?と気がついたのはこの頃のこと。

そんなことも思い出した大人の炭焼き体験

住民アンケート

結局「過去の行政手法が誤りであった』ことが証明された。

『ごみ処理施設を飯森に!』と言う広域連合の方針に、白馬村の住民アンケートは『明確にノー』の答えを出した。
このブログでも書いたことがあるのだが、住民に対して『決定してから知らせるという行政手法』に対する『住民の拒否反応』が、なんといっても大きい(と思う)。

話は違うが、前に『大町の高校2校を統合する県の教育委員会の方針』が地域では大きな政治問題になって、大町市民(関係する政治家かな?)から『明確に否定』されたのだが、この問題をあらためて県教委の要請を受けて地域で話し合った。
当の親分が県の中枢に入ったことが関係したか、結局住民の側の方針も『大町の高校2校を一緒にすると言う昔の県の方針と同じこと』になって、市民の意見を代表する形で県教委に意見書を持参した広域連合長が『反対した、かっての県教委の方針と同じだが』とテレビに突っ込まれて『たとえ同じでも手法が違う』と大見得を切った。

当の本人だから、今度のことも『住民にばれたら困るという手法』をとった『ごみ処理施設の用地決定手法が間違っていた』ことは、すでに『気がついていたはずだが、自ら改める』ことはなかった。
何度もタイミングはあったと思うのだが。

アンケート結果を公表する記者会見の様子を見たのだが、ちょっと未練たらしく『残念だ!』などと言っていた。
これで『堂々と後戻りできるのだからよかった』くらいに思った方がいいと思ったのだが。

記者会見のあと議会の全員協議会が予定されていたようだから、歯切れが悪かったのかもしれない。
『議会に話してないからそれまでは住民に公開しないでください!』と言われたこともあるから・・

何でも知っている市会議員を目指して、一般住民より先に知っていることが自慢なのだが、その情報を住民向けに知らせる議員は必ずしも多くない。

ともかくこのことに関して、今までは前職の決めたことだったのだが、これからは完全な自己責任になる。
よく『一般の市民の意見を聞いて』と言う市長だから、言行を一致して取り組んでほしい。

ごみ処理施設に関して、他の町村から市は信頼されていないことを自覚して取り組んだ方がいい。
市の関係者にとって議員を含めてだが『最大のテーマは常に効率論』になるし、あくまでも『迷惑施設論』の域を出ない。

『市長の自宅前』に造っても、『中心市街地の活性化策』として造っても、受け入れられるものにするくらいの気概がなければ関係住民には受け入れられない。

妥協

『君子豹変』とか『妥協』と言う言葉は『ちょっとしたマイナスイメージ』で語られることが多い。

状況が変わったので今までの流れを変えたり、両極端にある意見を現実に即してマー双方が納得できるものに歩み寄ったりすることは必ずしも悪いことではない。

今は衆議院の解散が議員の頭を離れない。

参議院と衆議院の結論が違う場合があるはずなのだが、本来両院協議会が妥協の場になって『ちょこっと前進』するのだが、何時かあるはずの『解散に何が有利か?』だけが判断の材料になって事態が動かない。

いつかtakeyamaの民主主義は中学校の公民のレベルだといったことがあるのだが、本気で『今の先生はこの国の民主主義をどう教えているのかなー?』と思う。

君子は豹変してもいいのだが、『もともと郵政民営化に反対だったから民営化を見直す』と国会(委員会だが)と言う『公式の場所』で口をゆがめたのには参った。

郵政改革と言う熱病に浮かされた状態で異常な衆議院になったのだが、そんな状態を利用して変な首相が続いた。
それでなかったら『自分も首相になれなかったはずだったこと』は知らないふりをする。

昔の特定郵便局長などの力を選挙に借りたいことは明らかだが、件の方々もなめられたものだ。

早く総選挙をして出直さないと先進国?が笑われる。
政局より政策(苦笑)

発言がぶれたり、漢字の読みが違ったり、はもう慣れたのだが、今回はいただけない。
民主主義の根幹にかかわる。
こんなことを許してはいけない。

『過ちを正すことはあってもいい』のだが、少なくとも『間違ったことを認め』てからでなくては困る。

市民農園の運営

農園全体のことではなく管理センターのことなのだが・・・

市民農園は、村の活性化策の一環として、定住人口増加を見込めない中で、都市住民の田舎志向や農業志向に応える形で『村の元気を取り戻す施策』と位置づけられてきた(と言われてきた?)

だからと思うのだが、村の時代には村役場の事務(業務)の相当の部分を占めてきた。
農園全体の運営はもちろん直営で、沢山の居住スペースの人気があり、空き待ちの状態にもなり、『管理センターの運営』は『嘱託だが村の職員』が行ってきた。

詳しいいきさつは判らないのだが、合併後は『当時の嘱託職員が管理を委託』されていたらしい。

管理を委託され、材料などの経費は市が支出し、収入もすべて市のものになる。
皮肉な話だが、『施設がにぎわって収入が増えると管理者の負担が増えるだけ』だからモチベーションが上がることにはならない(はずだ)。

もともと市民農園での農業は『農地法の例外規定での農業?』だから難しい問題が多かったし、一般的な市民が小さなスペースを耕して楽しむ農園と違って、『居住スペースを持つ市民農園』と言う大きな特徴をもつ施設で、それら『利用者の便宜を図るための管理センターの運営』だから、費用対効果の面では難しいことも多かったはずだ。

管理者は『相当のポリシーを持って運営』して、農園利用者と住民の交流も成果を上げ始めて来たようなのだが、管理委託と言う手法からか、管理に対する意欲を失って『今年度で管理を止めたい意向』だそうだ。

『初期投資が終わってさてこれから』と言う時に合併したから、市にとってはおいしい施設のはずだが、いまの市は経費節減にしか興味がない(ようだ)。

役場がなくなって、ずいぶん地域や支所の仕事も少なくなったのだから、支所の仕事を増やし職員の数を維持する視点もあってしかるべきだが、そういった考えはないようで『管理を受託してくれないか?』と地域づくり会議に打診があったとのことで、夕べ地域づくり会議のメンバーに説明会が行われたから出席した。

役員の方から説明はあったのだが、すでに『やるつもりの役員』と『様子見の役員』がいる感じ。

地域づくり会議の会員は、それぞれ『地域の維持や振興の意欲は一緒』だが、『その手段については千差万別』で自分の趣味を地域づくりに生かしたいもの、スポーツの振興が地域づくりに重要だと思うものも含まれている。

今回の提案は、それらをひとからげにして突き進む話だから、会員の中からは『管理センターの運営をして地域おこしを楽しみたいメンバーを作るべき』だというような意見があったし、それらが『地域づくり会議に参加する形』が、『目的も手段も違う雑多な人間が加入している地域づくり委員会の姿勢』だと思うのだが『相当前かがみの姿勢の者』もいたからどうなるのかなー

行政機関が管理する施設(行政財産)は、住民に必要なものだとしてつくったのが建前だから、もともとは市が運営するのが普通なのだが、得手不得手の問題があるから『管理の一部を他に委託すること』はできてもその『運営を一括行政機関以外のものに委託できない』のが法律の解釈。
『管理はともかく、運営まで委託するべきではない』と言うのが法律。

『官から民への流れ』の中で、この頃の法律改正で管理者を市が指定する(指定管理者)制度ができた。管理の委託と違って、2~3年継続して経営できる。
麻の館やぽかぽかランドに取り入れられた。

今回の支所の提案は『管理の委託(仕様書から)』だから、管理センターの運営全般を委託されるわけではないのに『それだけの予算があれば運営できる(赤字にはならない)』と言ったり、『運営のメリット(黒字になる)』がまことしやかに語られたり、『将来の指定管理に有利』だという認識を示したりしていた。
市は『運営委託』はしないのだが、あたかも管理センターを『経営する』ような論調は気になる。
『指定管理の際は別だよ!』と冷静に分析した出席者がいたが、今の市の業務は契約担当課で各種の契約を一括して行っているはずで、『業務を受託したい』ために『不安に目をつぶってはいけない(と思う)』

13日には『臨時総会を開いて決する方針』を役員からは示されたが・・・

山留の関係者はよく宿泊に利用するらしいのだが、『大変だから宿泊業務はやめる』選択肢は『設置条例上はできない』から安心していい(と思う)。

灯油が下がったが

もうじき大寒は終わり、暦上明日から春なのだが・・
今年の冬の雪は異常。

九州地方に雪が降ってもここに降らないことが続いた。
定期検診で病院にいったら体重が増えていた。「雪片つけがなくて!」と言い訳したら「みんなそういう・・」と笑われた。

子どもたち用に1.8メートルの積雪観察装置を作ったのだが、見事に空振り。
根元が出ている。

1月のお墓参り(1月8日)はブーツで出来たことはあったのだが、そんな時にも1月末に雪がなかったことはなかった。

67年生きたのだが「生まれて初めてだなー」といったら、6年生が「僕も生まれて初めて!」といったのには大笑い。

経験則的にいえば、今年の農繁期は確実?に水不足になる。
今から対策と言ってもないのだが・・・
今日の岳山
今年の目標、復活再生を、雪の下で待つ『わかたの棚田』,11:2:2
11;2わかたの棚田  23年新春 自宅2階から山小屋風 1月3日朝 山小屋?  夕焼け(22;10:29)庭から鹿島槍を 夕焼け 鹿島夕日
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まだまだ、3年生には!
どっちが引っ張る?

地蜂ほり
山留生を相手に地蜂をほる。

2年田起こし
GWは棚田の季節


通称「かっちゃ」
山留生は「農家の父さん」
トラクターは退職金で買った。
年金で肥料を買うが、職業は農業(のつもり)。

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