岳山に吹く風は!
毎日岳山に対面しながらつづるブログです。デザイン変更10月9日
藤の観音堂再建
藤のお堂は『やんどころなく取り壊され』建て替え中。
このお堂は藤全体が昭和12年の4月20日に大火に遭い、ほぼそれぞれが復旧した昭和15年5月に建設したもの。
もっとも記録や記憶にあったものではなく、取り壊しに中に棟札は無かったのだが、真柱に墨書があったのでわかった。
経費などの記録はお堂の壁に沢山の木札に寄付者の名や金額などの記録があったのだが、戦後のいたずら坊主共がそれを卓球のラケット代わりにしてしまった。遊ぶ道具が無かった時代。もちろんtakeyamaもその一人。
そんなことの罪ほろぼしの気持ちもあって何とか残らないかと思ったのだがそうならなかったいきさつは前に書いた。
こんなことも
共同の施設の運営はそれぞれの思いがあるから難しい。
国会で政府自民党は強行採決を繰り返し、参議院議員選挙で相当のしっぺ返しを食らったのだが藤の住民投票は充分な議論を繰り返し、議論が出尽くし、もはや感情論になる恐れが出た段階での投票だったから結果は全員が受け入れた。
その後は『最大公約数的な方途』を委員6人を選んで検討したのだが、『規模を小さくして建て直す』ことにして、何度も話し合って、皆が無理なく負担できる金額を『戸当たり年1万円5年間』と合意した。100万円になる。
神社仏閣の類の建設は従前はほとんど篤志寄付によってきて、旧お堂もそれによって出来たのだが、『一億総中流』の時代になって対応が結構難しくなった。
『寄附帳をまわして寄付金を募る行為』はみんなの合意ができなかったのだが、地域内の団体等からの分が100万円ほど見込めたから、『合計200万ほどでできるもの』を大工さんから提案してもらうことにした。
以前だと古い堂を解体する実力もあったのだが、もう『よる年波』で危険なため、取り壊しにも専門業者の手を煩わすことになり、相当の資金が必要になった。
あれやこれやで資金に不足したから『匿名寄付』への取り組みに地域の了解が得られた。
このブログを見られた関係・無関係の方一報をお寄せください。
写真は旧堂とその取り壊し状況、起工式、新観音堂建設の状況。




小林建築さんのおかげで『相当値打ちのもの』が出来る見込み。
今のところ10月8日が完成式の予定。
このお堂は藤全体が昭和12年の4月20日に大火に遭い、ほぼそれぞれが復旧した昭和15年5月に建設したもの。
もっとも記録や記憶にあったものではなく、取り壊しに中に棟札は無かったのだが、真柱に墨書があったのでわかった。
経費などの記録はお堂の壁に沢山の木札に寄付者の名や金額などの記録があったのだが、戦後のいたずら坊主共がそれを卓球のラケット代わりにしてしまった。遊ぶ道具が無かった時代。もちろんtakeyamaもその一人。
そんなことの罪ほろぼしの気持ちもあって何とか残らないかと思ったのだがそうならなかったいきさつは前に書いた。
こんなことも
共同の施設の運営はそれぞれの思いがあるから難しい。
国会で政府自民党は強行採決を繰り返し、参議院議員選挙で相当のしっぺ返しを食らったのだが藤の住民投票は充分な議論を繰り返し、議論が出尽くし、もはや感情論になる恐れが出た段階での投票だったから結果は全員が受け入れた。
その後は『最大公約数的な方途』を委員6人を選んで検討したのだが、『規模を小さくして建て直す』ことにして、何度も話し合って、皆が無理なく負担できる金額を『戸当たり年1万円5年間』と合意した。100万円になる。
神社仏閣の類の建設は従前はほとんど篤志寄付によってきて、旧お堂もそれによって出来たのだが、『一億総中流』の時代になって対応が結構難しくなった。
『寄附帳をまわして寄付金を募る行為』はみんなの合意ができなかったのだが、地域内の団体等からの分が100万円ほど見込めたから、『合計200万ほどでできるもの』を大工さんから提案してもらうことにした。
以前だと古い堂を解体する実力もあったのだが、もう『よる年波』で危険なため、取り壊しにも専門業者の手を煩わすことになり、相当の資金が必要になった。
あれやこれやで資金に不足したから『匿名寄付』への取り組みに地域の了解が得られた。
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写真は旧堂とその取り壊し状況、起工式、新観音堂建設の状況。




小林建築さんのおかげで『相当値打ちのもの』が出来る見込み。
今のところ10月8日が完成式の予定。


