高校改革はオジャン?
後で「ほぞをかむ」歴史的な一日になったかもしれない。
政治が、選挙が教育を「ゆがめた」かもしれない。単に大衆に迎合しただけだったかもしれない。
ある県議の意見を紹介する(こちら、としみつタイムス)、佐久の方面には立派な県議がいる。
木曾、飯山、中野地域以外の6地域は「住民の合意がない!」から「改革すべきではない」と委員会では結論付けた。
「余力のあるいまこそ!」と教育委員会は訴えたが委員会ではその声は通らなかった。
明日は本会議だからどうなるかはわからないのだが。
ほっとしているのは、ミヤザワ、マルヤマ議員と腰原副知事だが、後の歴史が「あの時・・」になるかもしれないような予感はする。
教育委員会はともかく、知事には「逃げられて」重い責任を議会が負う。
田中知事つぶしから発して、選挙のための「大衆迎合!」でなければいいのだが・・・
明日に注目。
村井知事は必死(?)で「県議会への工作をしている。」「ことになっている?」
「代議士時代の秘書を"任期付職員"としては採用しないことにした」から、「選対本部長の副知事登用は認めてほしい」といっているのだが、そもそも「その計画があったのか?」疑問で、「なかったこと」を「やめた!」と言うのであれば「県民をなめた話」。
そもそも(またもや)「任期付職員の採用」は「県庁に一人で落下傘で降下した(本人の言葉から)」あの田中知事が必要にせまられて「発案・実行」した制度で、村井新知事は選挙中から大変批判しいたから、「それを考えていた」のであれば、まさに「支離滅裂な話」。もともと「なかった計画を引っ込めたことにする」ことは、腰原副知事提案のための「姑息な手段だ!」と思わないと「理屈があわない」し、そう考えると「説明がつく」。
腰原副知事誕生を前提に考えると、腰原副知事は大きな矛盾を抱えて副知事に就任することになる。
腰原さんは市長時代から「大町の2高校は存続すべし」と市民をリードしてきた。市長退任後は(退任決定後は)「田中知事誕生を阻止する活動」することを明言し、その中で「田中知事では大町2校制は守れない」と人心をリードした。
知事交代後一定の効果を生んで、新知事は、全県一律の高校削減ではなく、学校別の募集変更を議会に提案することにはなった。
でも、知事は個別に大町北高の廃止を提案するのであり、その議案を議会が否決しない限り北高はなくなってしまうのである。
知事の提案を「NO」といわない限り北高はなくなるのである。
腰原副知事は「知事の意向に反し」て、議会に「知事提案の議案を反対するよう働きかける」必要があるのである。
副知事就任と同時に「知事の意向に反した行動」をしないと「以前の行動との矛盾」が明らかになるのである。
ともあれ、腰原氏が副知事になって、大町北高がなくなるの事態は大町市民は許さないと思う。
明日はどうなるのかなー
高校改革で教育委員会をコントロールして、統合予定の高校別に議会の同意を求める議案を提出することにして「教育委員会」の建前を尊重?し、議会の顔も立てるふりをしながら、自分の公約(地元合意のない高校改革はしない)も守ったことにする。
いわゆる「落としどころ」を意識した、かっての「自民党の手法」そのままだ。
今度は「人事」での朝日新聞長野版(こちら)に注目。
このことについては前に書いたが(こちら)案の定多少の「不協和音」はでた。不協和音の発信者に対するメッセージに「始めから出来もしない任期付職員の採用案を引っ込めることにした」高等戦術ではないか。
大町の市民にとって、「北高は存続できなかったが腰原さんが副知事になったからいいか。」と自らを納得させることはが出来ないはず。
いわば「最悪のパターン」だ。それでは北高存続に期待した腰原氏→村井氏への期待が、もろに「腰原副知事誕生に利用されただけ」になってしまう。
腰原副知事誕生を犠牲にしても、北高存続につながる募集変更議案の「不同意」の多数派工作が出来るか。?
地域の政治家の力量が問われる。県議の役割がもっとも大きいのだが。
県議の意向や県民の動向を「政策を小出しにして伺う」「知事の手法」を理解して「声を上げるときには声を上げる」癖をつける事が大事だ。
「陳情政治復活」と勇んだ「地方のボス」にブレーキをかけた話は新聞に載らない。
「市町村を大事にする公約」は「市町村がしっかりすること」だそうだ。
政治的な思惑を離れて純粋に長野県の高校教育を考えていたか?
12通学区制の導入を始めとした県立高校制度が、世間では当たり前な競争原理をなくして、かっての教育県はいまや全国ワースト2になってしまった。心ある県民は高校改革の必要性を感じている。
知事と県議会の感情的とも思われる対立で「ものの本質」がどこかに行ってしまって、もっぱら地域を基盤とする政治家が地域に「おもねて」声高に「改革が性急過ぎる」趣旨の発言が目立つ状況になった。
挙句の果てにはこれを知事選の争点にしてしまった。
本来教育委員会は知事からは独立した行政機関で、前・新知事とて充分知っているのだが、「人事の権利(任命権)は知事」のほうにあって、しかも「議会の同意」が必要だから議会も首を突っ込むことになる。
19年度から実施すると大いにがんばった教育長は前知事と一緒に辞めてしまったからいっそう混迷を深めた。
これでは「知事の意向を受ける教育委員会」になってしまって「専門家集団たる教育委員会が真摯に検討してに決めたこと」が怪しくなってしまう。
けれども、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ!」だったかもしれない。残ったら「集中砲火で改革全体ががつぶれる。」
事実新知事誕生後の知事は選挙戦での威勢を鎮めて「教育委員会の決定を尊重する」姿勢を打ち出し、教育委員会のほうが「ひそかに知事の意向を受ける形で、案件ごとの議案を提出する工夫を見つけ出して、教育委員会、新知事ともたくみに矢面に立つことなく「議会に行く末をゆだねた」から、最後の責任を議会が握ることになった。
6月の定例会で県立高校の統廃合に伴う生徒募集には議会の同意がいる条例を議決したからで(こちら)、知事と教育委員会に「ちょっと逃げられたから」大変なことになった。
議案が高校別に提案されるから、大町北高校の存続のためには、知事から提案される議案を不同意にしなければならないのだが、松代・長野南、岡谷東・南の統合は提案されないからから県会内の多数派工作はなかなか大変。
件の高校を始め、中学でも準備が始まっている。
ここはひとつ腰原副知事誕生を人身御供(副知事にはならないから)にして大町北高校存続を図るか?
先行き不透明なまま、市民感情を北高存続に導いた責任者としての見識が問われる。なーんちゃって
ミヤザワ・マルヤマ両県議はどうするのかなー。村井知事とは離れたくないし!
当の中学生は「待ったなし!」状態。
大町北高は名前にあがった時点である意味「勝負あった!」のだが、なんせ「展望がないまま騒ぎすぎていた」のではないか?
存続は出来ても、先行きは厳しい現実をどうする?
「takeyamaさん、高校はどうなるかねー」知事選が終わって、何人にも言われた。
政治的な権力者に宗教が結びつくと悲惨な事態になることはテロや中東情勢を見れば明らかだが、教育もおなじで、先の大戦に突き進んだことに大きな影響があった。それを反省して自治体では教育をつかさどる機関を「首長が直接管理監督できない」ように「教育委員会」という別な「行政組織」を作っている。
蛇足だが、今回の合併協議で「八坂の教育課を支所長の直轄にしたほうが好い」と言う意見を「制度的にだめだ」とした経過が記録にある。
制度的に推し量れば、今回の高校改革は教育委員会の方向であって、知事の意向ではないのであるが、もっぱら「田中知事の決めた方向だから知事を変えなければ北高がなくなる!」と今度の知事選が利用されたのではないだろうか。これが冒頭に紹介した会話になるのではないだろうか。
今までは展望がなくても「高校改革反対!」「北高は存続すべし!」と唱えていればよかった。(こちら)議会は改革を歯止めする条例を作ったが、最後の責任を取ることには「及び腰のふう」も見える。
今まで県教委は準備を進めて次年度に間に合わすことを明言してきたが、知事が替わった(来月からだが)が方針は変わらないのだろうか。今まで教委が大所高所にたって方向を出していたのであれば「替わるはずがない」のだが。
いずれにしろ、ぐずぐずして迷惑なのは該当する中学生だ。
大人は「耳当たりのいい」ことだけを言ってはいけない。「12通学区」を作って、「全人教育」を進めたことが、「かっての教育県」を「全国ワースト2」にしたことは、県民がこぞって「なんとなく」気がついている。
高校改革に対してこの大町地区は飛びぬけて住民の理解が遅れている。「北高存続!」のこえに「隠れている本質が見えていない」心配はないか。
現在の教委の方針「ひとつの高校にふたつのコース」も「ん?」ではあるのだが。
県の議会は高校再編の「歯止め条例」を可決した。(こちら)
大町高校と大町北高校の統合はどういう展開をたどるのか?また不透明になった。
大町市にとって、両校の統合は両校の卒業生を中心に「納得できない」感がすることは「あたりまえ」で、この案が教育委員会から示されたときは「相当ショック」だった。
市長をはじめ地域の主だったものは、統合反対は地域の共通事項だから、「統合反対!」を叫べばよかった。いわば自分の政治生命の関係で反対運動が大きくなった面もあるのではないか。
地域の高校生の予測は両校の存続が容易でないことも示している。
「歯止め条例」は、定員の決定に議会の同意を必要とするもので、一部教育委員会の職務権限にも踏み込んだ。議決機関としての議会が執行権を左右することになり、県の教育行政に大きな責任を持つことになる。
「単に大衆迎合」に陥らないように「大所高所」にたった議論を期待したい。結果として「該当する生徒諸君を悩ましただけだった」にならないようにしてもらいたい。
大町の市長も議長も該当する高校を卒業はしていない。「自分の政治活動の一環にしただけ」では困る

