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年神様

今年の年賀状には『年神様』を使った。

年の最後の日から年初に、各家の『松の木』に神様が訪れ、正月中その家にとどまる(と言われている)。
だから毎年松の木を採って家の中心に据える。
それを『松迎え』とか、もっと丁寧に『お松様を迎える』とかいう。

神様が降臨したものは『年神様(と言われ)』で、お年取りから(12月31日)から正月中は在住する(と言われている)。

注連縄(しめなわ)は神様のいる神聖な所と普通の人間の生活の場を分けるものとして位置づけられている。

ついでに言えば、玄関に飾られる門松は、「この家にお松様を迎えてありますよ!」という『目印』で、年神様がそれをめがけて降臨する。

近頃、お年神様を迎えてなくても、いわゆる外観向けに門松だけが飾ってある家が珍しくないし、松が無くてしめ飾りだけが飾ってある家も多い。
本来『本末転倒』だが、そんなことが無視されていることが多い。

これらの飾りは売られていて、海外で生産され超豪華なものも多い。
事は『神様がらみ』のことだから、自分で作ったものが『みてぶりは悪くても高級』だと思っているから、takeyamaは全部手作りしている。

田の神様、水の神様、火の神様、山の神様、家の守りの神様、知恵の神様、昔はそれぞれに神様が訪れると言われていたからそれぞれに松を迎えた。家中で相当な数になったし、それらに毎日食事が提供できない(大変だ)から、その間の食器がいわゆる『おやす』で、洗い米と尾頭付きの魚をいれて勘弁してもらった。

それらの臨時の神様を祀った諸物を、正月が終わって、本来のところに神が帰った時に、『お炊き上げ』するのが『おんべ』だ。
それが『おんべ』自体がイベント化して、年神様がまだいらっしゃる正月中に済ませてしまうのが、すでに一般的になってしまった。
おんべは、『単に枯れ草を燃やすもの』ではなく、『年神様をお炊き上げする』ものだということを子供たちに伝えてほしい。

元々は15日までが正月だったのだが、正月=松飾りがある期間=松の内で、藤は何時からかはわからないが、『7日まで年神様を祀る』と短縮した。
七草がゆの風習が一般的だから、まんざら根拠のないことでもないようだし、『7日までが松の内』という言い方が一般的だ。

そして、今の古老達が生まれる前から、七日のおんべは続いているし、戦後いわゆる新生活運動でほとんどの地域が一時的にやめてしまった時も『今の場所で、同じ方法』で続いていて、途絶えたことがない。

おんべは本来『子供だけの仕事』だったのだが、子供の数が少なくなったし、子供自体能力が亡くなってきたから、数年前から地域あげての事業になってしまった。
八〇歳の老人が嬉々としておんべを作っている姿もまた『おつなもの』だが、子供たちが『完全にお客様』になってしまった現状は、危惧される事態だ。
以前は『社会生活の力』をこんな行事を通じて先輩から教わってそれぞれ付けてきた。

『年神様の松迎え』は死んだ親父から『12月13日にするもの』だと言われてきた。となりのじいちゃんはちゃんと今年もそうだった。

ずーっと『なぜ12月13日なの?』と疑問だったのだが、京都の芸妓さんだか舞妓さんが芸事の師匠に『新年のあいさつ』を12月13日にすることが報道された。
これを『事始め』と言って、この日が『新しいの年の準備を始める日』だそうだ。

『松迎えの日』はまさに『新年の準備を始めてする日』だ。
『長年のもやもや』が晴れた気分。古希にもなって初めて知ったこと。
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古希

ずいぶんブログに御無沙汰した。
書くことに大きなエネルギーがいるようになった。
ずいぶん年を重ねた。

『高齢者』を表す表現にはいろいろある。

『還暦』が60歳、65歳からは『正式に高齢者』とカウントされるし、『年金が全額支給』になった。

今思うとさして老人としての感覚がなかったのだが、9月27日に『古希』になって、ちょっとした感慨がある。
高齢者より『老人』というのが世間一般の受け取り方かもしれない。

9月28日早朝、聞きなれない声がして、玄関に労働金庫のの職員が訪れた。
『古希のお祝い』に、口座に5000円を振り込んだとのこと。、
『古希を実感した瞬間』

そして、市役所から『高齢者医療』の保険証が届いた。
『医療費の個人負担が2割』になると書いてある。
制度が改正(改定)されていて、来年度からだからそれまでは1割、9月までの3分の1だ。
病院や薬局の会計の際その差を実感して、変な話だがちょっとへこんだ。
経済的にはずいぶんよくなったのだが・・・

おふくろが亡くなって32年になったから仏教で言う33年忌の法要をしたのだが、そのための自宅の片づけが大変で、いつか『社会的な発言に必要かも?と保管していた資料をほとんど処分』した。
軽トラックの荷台を埋めるほどの量だった。
そんなわけで、今までのような社会的な発言はなくなる。
今までこのブログに戦々恐々としていた方々は安心してもいいかも。
年よりの『感情のおもむくまま!』と言うのはあるかも?・・

それで、古希の老人の日常生活だが・・・

毎朝早起きしてわなを見回ることから一日が始まる。
40分から1時間はかかる。

4、5年前からイノシシやシカが出始めて、農作物や圃場の被害があることは、もう何回もブログに載せた。

で、一念発起して『有害鳥獣駆除』をすることにした。
狩猟の免許を取って、同じようなことを考える仲間と一緒に。
2年目だが、要領が多少わかって成果が上がっているが、ワナの見回りは毎日必要だ。
まずこれが古希の老人の生活の一端。
5月からイノシシ7頭、シカ6頭、サルやハクビシンも相当数捕獲した。

以前から『わかたの棚田』が気になっていたが、今年から再生に取り組むことにした。
もちろん『棚田の仕事に収益性を望むのは無理』だが、幸い応援してくれる人がいるのが心強い。
応援者は『棚田の仕事を面白がっている』のが好いが、こちらも『棚田の仕事をレジャーの範疇の納める工夫』も必要で、これが頭の使いどころでもあり、あんまりボケてもいられない。
地域づくり会議に入会して『棚田のページ』を作っている。

それともうひとつ。
これが今の生活の最大のテーマだかもしれない。
40代に体調を崩して入院したことがあるのだが、その後の生活に問題があったのか『腎臓の機能が減退』してきていた。
『一端悪くなった腎臓は全快することはない』そうだが、まー『最後は透析でいいか・・』位の気分で過ごしてきた。
生来、いわゆる『ズクナシ』だから、週に3回、2時間くらいの『ベット生活』には耐えられそうし、『マーいいか!』だったのだが、去年、市の保健担当者から『透析は困る!』と言われた。
本人の負担(身体的・経済的会わせて)はもちろん大変だが、それと同じに『国保の運営が大変だ!』ということ。

『透析状態にならないことを目指す病院』を紹介され、講演会に出た。
去年の7月、講演会では件の医師から『腎臓病の患者が、安易に透析に頼ることは反社会的な行為』と言われた。
費用が相当かかるのだが、大半は国保の負担になる。

腎臓病の患者は『仕事の代わりに養生することが社会人としての責務!』だと言う。
そうまで言われて目が覚めた。

もろもろの『やぼ用』は卒業して、自分のしたいことだけをやれる身分だし、『腎臓の養生を人生の一環』にすることをテーマにすることにした。

で、その具体的な生き方だが、腎不全に近いtakeyamaにとって有効な薬物療法がなく、大事なのは食事の仕方で、具体的には、タンパク質30グラム以下にして、エネルギーを1800キロカロリー、食塩は5グラム以下3グラム以上と指示された。

そして、月に1回、全部の尿を検査するとその取得具合が判るそうで、かみさんともども頑張っている。
食事を担当するかみさんが戦々恐々としていて、、さながら『勤務評定が月一』の様子を呈している。
『食事の材料を測る』ことが始まりだから、デジタルの秤を買った。

外食は、『種類や量を見当付ける』ことが大変で、まー外食も外泊も事実上はできない。

米や粉に含まれるたんぱく質を調整しないと、肉や魚の『良質なたんぱく質が摂れない』ことになるので、たんぱく調整食品を使っている。

旨くはないがある程度慣れた。

マー『この調子なら、一生透析にはならないかも・・・』と担当医に言われてほっとしたし、励みにもなっている。

有害鳥獣駆除、棚田再生、腎不全対応が人生の3大テーマ。

『児童の皆さん」考

子供の人権は守られなくてはいけないのだが・・・
上から目線でしゃべって辞任した大臣がいたのだが・・・

「こちらは広報◎◎です。」
「○○学校から地域の皆さんにお願いです。」「児童の皆さんの下校の時間です。地域の皆さんの見回りをお願いします。」

地域の住民が子供を見守ることは大事で、不審者や熊の出没に備えるために、1週間くらい前から連日無線で家庭や野山に流れる放送だが、どうにも違和感がある。

今、家庭では子供が王様状態で、なんでも子供の言い分が通る。

『地震・かみなり・火事・親父』は世の中の怖い方からの順番(だったの)だが、それがは伝わらない状況になって、親が子供の顔色を伺い、親の威厳を発揮することはない。
対外的にさえ『うちの○○チャンは・・・』位のことは平気でのたまう。
『うちのせがれ』や『うちの○○(呼び捨て)』などという言い方の方が少ない?

そしてそんな風潮が学校に伝わってしまったのかな?

takeyamaも昔は児童だったのだが、当時の先生は『児童を皆様扱いなどしなかった。』
先生は『一段上のレベル』にいて、『子供たちを指導』し、決して『児童と同じレベルには位置しなかった』。当然児童におもねることはなかった。そして先生は『児童もその親も尊敬する存在』だった。

児童の集合時などに『みなさん!』と呼びかけること位はあったのだが、一般の大衆を相手に、児童を『皆さん!』という言うことはなかった。

『子供の人権という言葉』が変な風に広まって、児童を育てるべき人間が自信を失っているのではない?、それが『児童の皆さん(様?)』等という表現につながっているのではないか? 
そして、それが『傍若無人な子供達』を作ってしまっているのではないか?

マー、『そんな大げさな話ではない、単に敬語の使い方を間違っただけ!』という指摘があるかも知れない。

でも、それはそれで心配の種で、地域の『広報○○(無線)』は家庭内(屋内)の受信機のほかに『広く野山に伝わる物』もある訳で、『身内を敬語で呼ぶ!』などという『非常識なことを、人にものを教える側の者が堂々と行っている』ことになる。

いわば『地域の恥を、広く世間に積極的に知らせている』ことになる。

そして、『何より怖い』のは『こんな変なこと』がどこからも指摘されず1週間も続いたこと。

『広報○○』を管理する側の『チェック体制が出来ていない』ことは『相当深刻なこと』なのかもしれない
地域の信頼を失う『広報○○』になってしまうことは大きな損失だ。

地震

早朝(と言うより深夜)4時前、カミサンの携帯が地震警報をけたたましくならした。
takeyamaのそれはちょっと古いからその機能が無い。
ほどなく揺れた。
昨日の揺れとは体感が違った。

長野県北部震源とか、震度は6強とか報道されたからびっくりした人が多いと思う。

takeyama家に大きな影響はなかった。
通常の生活を続けている。

とりあえず・・

昨日の地震で、関東方面で知人の消息が判らない人が多いのだが・・
一報を寄せてください。当面、生活支援の用意はありますから遠慮なく!

新聞に書いてあった!

もう『おふくろが死んで30年以上』過ぎた。

近所の老婆とよく『新聞で見た!』と言って『とんでもない情報!』を伝えてきてびっくりしたことが多かった。

新聞は新聞でも『新聞の広告欄に載った週刊誌の広告に載っていた!』よ言う話。売るための広告だから時に大げさになっていることが多くて、ちょっと『ん?』と言うようなものもあった(と思う)。
まー、芸能ゴシップの類が多かったのだが・・・

週刊誌の記事を『あんまり信用してもまずいのかなー』などとずーと思っていたのだが・・・

最近こんな週刊誌の広告が載った。
2月4日の週刊朝日。

この週刊誌の親会社はもちろん朝日新聞だが・・・
そちらの方はずいぶん感情的な、意図的ではないかと思うほど『政治と金』で『小沢疑惑報道』を連続している。

特に検察機関がする起訴と検察審査会による起訴を同一視して、ことさら強制起訴などと言う言語を作っている。
もう何度も『起訴の性質が全然違うこと』は書いてきた。

罪があることを確信して、有罪を前提として、『罪に問うことが無理なものは起訴しない検察起訴』と、有罪か無罪か判らないが、『裁判で白黒をつけろ!と言う検察審査会の意見による起訴』を同一視して、離党や議員辞職にまであおりたてる論調は理論的には全くおかしい。

純理論的にそんなことを思うtakeyamaにとって、『親会社の新聞より、従来うさん臭いとしてきた週刊誌の記事の方が信用できる』のではないか?などと思う。
もちろん購入して読んだのだが、記事には納得した。
このことに関しては『朝日新聞より週刊朝日の方に軍配を上げる』takeyamaで、そんなことを感じ始めると、『新聞やテレビの報道をそのまま信じていいのか?』と最近時に思う。

『死んだおふくろの思い出』から感じたことなのだが、『感じたことを、そのまま口にする素直な人』だったから面白い言語があって、どうも近眼だったようで、ある時takeyamaの眼鏡をかけてテレビを見て、よく見えることを感じたらしいのだが、『ホーホー、こんなによく見える!』と同意を求めてきたのには参った。

ひょんなことから思い出した『おふくろの思い出』

風習の継続

お年とり(12月31日)をして、71歳になった。と言っても数え年での話だが。
数え年では生まれると1歳で、その年の12月31日が『お年取りの日』だから、それで年齢がひとつ増える。
だから満年齢とは最大2歳違うことになる。

今年のお年取りは産土様の『おこもり』で過ごした。

年末年始に神社の2年参りに対応して、神社関係者が神社に詰めることは各地にある。
神社総代(役員)が多くの場合対応する。
藤井神社(産土様)の場合はそれとは大いに違って、氏子の半分ずつがお宮に一晩中詰める。

だから住民全員(世帯1人)元旦の朝2年に1度は家にいないことになる。
地域の高齢化が進んで、5年くらい前から『順番に4人づつの当番制』になった。4年に1度位に負担は減った。
今年はその当番年だから、久しぶりに布団に電気毛布を忍ばせて、神社に出向いた。

今年の相棒は『藤で生まれて、育って、婿さんを迎えた生粋の藤人』だから、昔からの風習に話が及んだ。

お籠りは『中学校卒業から我が家ではtakeyama』が担当したから、もう50年を超えるのだが、当時とは大違いに環境がよくなった。

隙間のある床に茣蓙を敷いて、表に戸はなく吹きさらし、暖房は大きな囲炉裏だけで、一晩中火を焚いた。
火の粉が飛んで、布団の煙で目が覚めたなどいう笑ってしまう話もあった。
それでも当時は皆元気で、お神酒を飲んで夜を明かし、花札やトランプをして過ごした。
家では威厳のある家長を演出していても、たまにはハメをはずしたいこともある。
そんな機会だったかもしれない。

今は正面はアルミのガラス戸、床は絨毯、温度設定したストーブで、電気シーツ入りの布団で上着を脱いで、靴下もはかないですごせる。

そんな中で、相棒の婆さんと風習談義をした。
相手は地域で生まれ育って、婿養子を迎えた身だから過去の風習に詳しい。

藤には、1月1日には『お酒を飲まない!』『餅を食べない!』習慣がある。
いつからなのか?何でなのか?
昭和12年の大火以前からあったとのこと。
なんでも地域に疫痢(赤痢)が流行って、藤にそれを入れないために『産土様に願をかけた』のだという。

科学や医学の進歩がなかった時代のことで、神様にすがって、いわばその代償で、『楽しいことを我慢』することとして『元旦の酒と餅を絶ち』、『苦労をすること』をいとわないことを示すのに『寒空の神社のお籠り』を選択した。

その効果はともかく、よく集落一致して行動できたものだと思う。
そんなことを通じて『集落の団結』は保たれ、周囲が認める『まとまりのある藤地区の評価』を得てきたと思う。

近頃そんな風習の継続が怪しい。
『形だけつながって』はきたのだが、その意義を認めていない者が増えたし、その意味することを子孫に語り継ぐ大人も少なくなってきた。
嫁さんは地域外から嫁ぐし、アイターン者に積極的に風習を押しつけるものはいない。

それでも、地域固有の文化は、後世につなげて行きたいものだ。

という状況で、こんな投書が目についた。
正月の風習
実はtakeyama家にも似たような風習があった。

祖父は相当な頑固者で『囲炉裏の横座(正面の上等席)をいつも確保』していた。
当時調理する火力は囲炉裏が主体だったのだが、元旦(朝)にはそこをしっかり掃き清め、一番先に点火する役目は家長である祖父の役目だった。
そして『いつかお前の番になる』と、いい聞かされてきた。

今はガスや電気のスイッチを入れるだけだから、いつの間にかその風習もなくなって、寝正月を決め込んで連れ合いにに起こされる始末だ。
親父はマーそれをひきついたが、takeyamaはその経験はない。

そんな身分では『地域の風習消滅を嘆く資格』はないのかもしれない。

結婚してもう40年近いが、12月6日に結婚して、もうその年取りの夜に『お籠りで家を空け』、『1月1日にお屠蘇はしない』、『1年のけじめはどうつけるの?』と連れ合いにあきれられ、変なところに嫁いだものだ!とあきれられた思い出がある。

5反幟

2年間務めた自治会の責任者の立場が終わる。
変な話だが、就任初日2年前1月1日、青具神明社の新年祭に招かれたのが仕事始め。
もちろん本来の業務ではなくいわば来賓だが。

氏子総代の会議に招かれてこれで神社との関係は終わり。
takeyama家の産土様ではないが、2年間付き合ったので『ちょっと神社に関係のあることを調べた結果』をこちらの『美麻wiki』に投稿した。

ご笑覧ください。

車のエンジンがかからない

①カーナビは表示されるのだがエンジンがかからない!

②バッテリーが上がったのかなー、エンジンがかからない!

棚田作業、稲刈りの手伝いに来てくれた御仁は立派な車を使っている。
農作業に軽トラックを使ってもらった結果自分の車は庭に放置されたのだ後ろにあるtakeyamaの車を出す用事が出来た。

『スイッチを押せばエンジンがかかりますから!』と持ち主には告げられていたのだが・・・
さて困った。
カーナビの画面が出るし、例のように『何かとしゃべる』のだが、いわゆるエンジンが反応しない。
①はtakeyamaの体験

一方②の方は軽トラックを乗り出した御仁の方の体験(話)。
仕事が終わって
軽トラックはマニュアル車、オートマ車は駐車位置にギアがないとエンジンがかからないのは当たり前だからマニュアル車のギア位置をニュートラルにした。
『焦りましたよ!バッテリーがあがってしまったのかな?』エンジンが全然反応しない。
『製造者責任法』で2重の安全性を確保するため、クラッチを踏みこまないとエンジンがかからないように設計してある。
オートマ車にはクラッチがないことも影響したのかな?
マーこっちはほどなく対応できて無事勝ってきたのだが・・・

さて①の方。
必死に鍵穴を探したのだが・・・
あきらめて持ち主が帰るのを待った。

感の好い方は気がついたかな?
この車はHV車、いわゆる『エンジンはもうかかっていた』状態。
ギアを入れてアクセルを踏めば動いたはずだった。

とんだところで『時代遅れ』をさらけ出した。
『こちらの常識!』が通用しなかった瞬間。
それぞれの生活環境が違うと常識も違いがある。
『それぞれの国語(言葉)を勉強しあわないといけないねー』と話しあった。

異世代交流や、異地域間交流は面白い発見がある。

朝日新聞に先駆けた!

『角界の賭博汚染―「公益法人」を返上せよ』という朝日新聞の社説が6月17日に出た。

このブログもまんざらなものでもない?

『天下の朝日新聞』の、しかも『社を代表する社説』に先駆けること1年3月、このブログはすでにそれを提起してある。
『日本相撲協会は公益法人を返上したほうがいい。』2009年3月3日

管轄する文部科学省は『相撲協会の体質を見抜くことを怠って』きたのではないか?

マー、ちょっと『先見性があることを自慢』して・・・


老害

昔から『年寄り子供!』という言葉がある。死んだ親父は相当の人格者で、今でもそのことを語る地域の人は多い。

けれども、晩年、『親父は、昔こんなではなかった!』と思うことが多かった。
正論を語るのだが、それがどんどん『特化』してきた。

『それはそーだけれども、世の中は・・』、若さに任せて議論を吹っ掛けるtakeyamaに、親父はよく言ったのだが、晩年はそれをそのまま返したくなることが多かった。

このブログを読み返してみて『やはりそんな気がする』。
年をとった。もう老害の部かな?

だんだん『人の言うことが気に障わる』ことが多くなるのだが・・・

人間も、組織も批判やを受け入れられなくなったら疲弊する。
だから、せめてコメント欄は残して置いたのです。
なるべく批判を受け入れようと頑張って?いる(つもり)。

今、『世の中は情報の時代』だが、情報の伝達は『独りよがりでは、真実が伝わらない(と思う)』。
組織の内側からの自分の都合だけの情報提供は、ほとんど『自慰行為』の類だ。
外側(でもないか?、まー斜め読み位)からの分析が『結構大事』だと思うtakeyamaです。

そんなことで『辛口の言動』が多くなるのだが、それはそれで『結構パワーがいる』のです。
お付き合いください。

この頃『一番ピンときているサイト』を紹介します。

ちょっとあわてた!

11日には、狩猟免許を取ろうと思って松本で講習会を受講していたのだが・・・

かみさんから連絡があった。

『電話で口座番号を聞いてくる事件があったから注意してください!』と行政無線で注意しているという。
『心当たりの者は警察に連絡を!』とのこと。

実は10日に『電力会社ですが、電柱の敷地の料金を払いたいが口座番号は変わっていませんか?』という電話があって、前に受けていた口座は農協の機構改革で支所が統合され、地区の支所は名前が変わったから口座の番号も変わった。

そんなだからなんの疑いもなく変わった口座番号を相手には告げてある。

これは大変だ!心当たりがあるなんて代物じゃない!
警察の電話番号は局番に110番(厳密には0110だが)を足せばいいから(ちなみに消防署は局番に119番なのだが)あわてて連絡した。

警官は『それで口座番号を教えたんですか?』と呆れたような口ぶり。
落ち着いて考えれば、『電話で口座番号を聞く!』なんてことは『変だ!』自分のうかつさにあきれたのだが。

『口座番号を教えただけでは被害はないと思いますが・・・』と慰められたり、『本当に電力会社が問い合わせしたのか調べている』と言われた。

夕方電力会社の支部を名乗って、個人名を告げて『今日、地域の無線で口座番号を聞いたのですが、心配はありません』という電話があって、それで『アーよかった!』と安心しあtのだが・・

夜、布団に入って、逆に心配になった。
『個人名は名乗ったのだが、こっちからの電話ではないのだから『本当に会社の人間からの保証はない?』

今の振り込め詐欺まがいのことは相当悪賢いから、普通の善人たるtakeyamaごときには『考えが及ばないことがあるかもしれない』
そんなことでいつまでたっても寝付けなかった。

朝、金融機関(農協)の開始を待って出向いた。
『あー、あんたもかい?』
『こんな間抜けは自分だけ?』と思って、ちょっと恥ずかしかったのだが、『性善説』の人間も結構いたらしい。
実害はなかったし、農協が対応して『電力会社の方で口座番号を確認したこと』を確かめてあって、ほっとした。

『口座を止めてほしい』と連絡した利用者もあったらしい。

究極の個人情報である口座番号を電話で調べるなどというのはちょっと無神経だが、『額が少額だからなー』と思う気分もある。
ほっとしたから何でも許せる?

簡単にそんなことに答えてしまう『自分の危機管理意識のない対応』の方を反省した。

それにしても、行政無線はよく対処したと思う。休みで日直の対応だったから、却ってよかったのかもしれない。
行政防災の無線は地域にとって相当の威力だ。

「プリウスだけ?」

トヨタの車に乗って2台目で、アンチロックブレーキシステム(ABS)にもそれからの付き合いだが・・・

雪道の走行には、スピードを抑え、急アクセル、急ハンドル、急ブレーキ等、とにかく『急が付くのは駄目』だというのがいわば常識だ(った)。

雪や氷の道で減速したり停車するには、それこそ『そーっと』ブレーキを踏んで、ブレーキをかけたり外したりして『タイヤロックを防ぐ』のがいわば運転技術の内だった。

ところが、もう10年ほど前、白馬村に通勤していた時、びっくりした体験をした。
氷結した道路だったからスピードは相当ゆっくりだったのだが、交差点で前の車が止まったからブレーキを踏んだ。
一瞬抜けたような感覚があって焦った。
思わず強くブレーキを踏みこんだ。
車間距離を十分取っていたからよかったのだが、ABS特有の『がっ、がっ』があって、止まったのは車間距離が10センチくらいしかなかった。

その後も下り坂でブレーキが抜けるような感覚があって、ABSの場合、強い『急ブレーキ』が『OK』で、逆に強く踏み込んだ『急ブレーキでないといけない!』ことに気が付いているし、かみさんにも注意している。
雪道の『ポンキングブレーキの技術』はABSの場合逆効果になる。

アナログ世代は、ABS技術はタイヤがロックしない技術なのだから、ブレーキの際にタイヤが完全に止まらないことはあるはずで、運転者が『技術でタイヤロックしないようにしていたこと』を『機械的に車の方がすること』だと理解しているから、これはABSの特徴だと理解していたのだが・・・

そしてプリウスのことだけではないと思うのだが・・・

つい一昨日も下り坂でその現象を起こした。
もうだいぶ慣れたからびっくりもしないし、その代わり?タイヤロックはしないから、車がコントロール不能になることはない。

雪道走行だが、車は4輪駆動だから、後輪駆動の車をで登りにくい坂道を上るのに、回転が急激に変化しないようにギアを大きめにしてエンジンの回転を制御したりした技術はもう過去のものになった?

装備は良くなって、装備を過信し、装備に責任を転嫁する運転者が多くなって、雪道のタイヤにしたから、4輪駆動だからとスピードや車間距離距離が少ない車がある。

笑えない話だが、駆動輪でない方にチエンをつける輩さえある。
製造者責任が横行する社会だが、運転者の自己責任もある。

エンジンは、吸入、圧縮、爆発、排気の連続で、クランクで直線の運動エネルギーを回転運動に変えるだけが判るアナログ世代の話?

「大丈夫です!」

「大丈夫ですか?」と安否を確認したことに対する答えではない。

もう6~7年も前のことだが、ある有名大学の大学院生が地域振興などの調査に来てホームステーしたことがある。
夏だったから『ビールでもどうか?』と聞いた時の答えがそうだった。

その時が一番始めだった、マジ『わけが判らなかった』。

まだ若い青年だから、まー大人の責任で、『その言葉では何のことか判らない!』『飲みたいのか?ほしくはないのか?』
『飲まなくても大丈夫なのか?』『大丈夫、飲めるのか?』
なんとなく『遠慮するときに使っているのかなー?』というのは雰囲気で察知できたのだが・・
大学ではこんなことは教えない。

件の青年は『歯にきぬを着せない発言』にちょっとびっくりしたらしいが、後から来た礼状にこのことが書いてあった。
今は県内の市の職員になっているはずだが、周囲の人たちと良好なコミュニケーションが取れているかなー。

その後、この発言に接する機会が増えた。
ご飯のお代わりを勧めた際、もう要らない時の表現として、もう普通になっているような気がする。

家の山留生も言ったから、『あのなー!、そういういい方は、世話をする人にはかなり失礼だぞ!』『まだ食べたいのだが我慢する!』『不満だがマーいいか・・』といったように聞こえる。
相手に配慮して『もう十分いただいたから、要りません!』ということが『判るように言え!』というのだが、あまり関係の深くない大人には、なかなか『面と向かっては言いにくい』。

その上、強調して『全然、大丈夫です!』位の発言にも遭遇する。いい大人も発言する。
ちょっと『言い方が変わっていて』スマートに聞こえることもあるのだが、本来的には『全然!』は最後に否定する言語がある時に使うのが正しいと思うのだが、『全然、好い!』などと使われることが多くて、違和感がある。

『農学校出』の国語が変なのかなー?
おっと!これも正確にいえば『農業高校出』と言わなければいけないか?
農学校が農業高等学校に変わった。
takeyamaの時代は農業科と農業土木科だったのだが、今はなんとか『横文字の科』になっている。
それでも、90周年記念行事がある。

同じ裁判の記事でも

もう古いこととして取り扱われているのだが・・・

『人の心は移ろいやすい』こと承知しているメディアだからか?

今は小沢土地取得資金の不記載問題に焦点が移っている。
収支報告書に『小澤からの借り入れ』と記載があって、小澤個人から資金が出ていることはすでに大衆の目に触れているのだから『不記載ではない』のだが、『2重?に資金が動いたことが判らない』から『虚偽記載』というように『疑惑の容疑?』がいつの間にか変わってきた。
そのことはともかく・・・

ことは小沢氏が民主党の代表を退くことになった事件のこと。

民主党代表の公設秘書が逮捕された事件だが、マスコミが先導する国民の大ブーイングで代表をやめた。その後の選挙で政権交代は実現した。
だからこの事件のことを世間は注目しなくなっている(と思う)。

事件は、『企業の献金』を『政治団体の寄付』として扱ったとされた『政治資金規正法違反』の事件。

だから『献金を受けた側の意識』と、『献金した側(政治団体?)の意識』が『罪の構成上は相当大事』だと思うのだが、同じ裁判を取材した記事に相当差異がある。

この頃『メディアの報道をすんなり受け入れては間違うぞ!』と思ってはいるのだが・・
ちょっとしたタイムラグはあるとしても・・・

時事通信の裁判の傍聴記事を引用

『新政治問題研究会と未来産業研究会。元部長は「対外的には西松OBによる友好団体。政治団体として届け出をし、政治資金収支報告書も出していた」と説明した。

 一方、社内的にどうだったか問われると、「事務所も別に借り、給料も別だった。引き継いだときには問題ないということだった」と話した。

 検察官が2団体をダミーと言わないのは株主代表訴訟を恐れているからかなどと聞くと、「ダミーとは思っていなかった。質問は何が言いたいのか理解に苦しむ」と声を強める場面もあった。』引用終わり・・

検察側の証人が検察側が言う『ダミー団体を否定した』のだから、あの『大騒ぎした逮捕劇の根拠が崩れた』ことになる。
あの報道のとき、それ『贈収賄事件だ!』と色めきたったのが、結局『政治資金規制法違反事件だけ』になったことだけでも『あの騒動はなんだったの?』だが、それすら怪しいことになる。

でもこの裁判を報道した記事にもこんなのがある。
同じ日の朝日新聞を引用

政治資金規正法違反(虚偽記載など)罪に問われた公設第1秘書の大久保隆規(たかのり)被告(48)の第2回公判が13日午前、東京地裁(登石郁朗裁判長)で始まった。検察側の証人として、献金の交渉窓口となった同社元総務部長(68)が出廷し、大久保秘書とのやり取りを具体的に証言した。(中略)元総務部長は、年間1500万円を献金する際に、どのダミー団体を使って振り分けるかを大久保秘書と西松建設の本社1階の応接室で相談したと証言。大久保秘書は、その場で前年の寄付実績の表を提示したという。「縦に西松建設側の(ダミー)団体名が並び、横に資金管理団体や政党支部など小沢氏側の受け皿が記されたA4の紙だった」と証言した。 引用終わり

同じ裁判を報じた記事だが、世間の関心が薄れたからといってずいぶん印象が違うものになってしまう。
マスコミは都合の悪いことは報道しないし、間違ったことを報道することもある。

よく報道に例の『田中裁判を全部傍聴した小沢一郎』との記述があるのだが、報道された内容と実際の裁判の違いをよく知っているのかもしれない。 

考えてみるとロッキード事件は刑事免責してからの証言を基礎にした裁判で、裁判の決着がつかないうちの本人が死亡してしまったのだし、宗男疑惑はとんでもない鈴木宗男報道だったのだが、実はあの疑惑騒動で裁判に持ち込まれたものはないのだし、とくに大手マスコミの洗脳で世の中が動いてしまうことは注意しなくてはいけない。

この記事が判りやすい。

説明責任はどっち?

しばらく覗いていなかったのだが、雪が降っているし、サンデーモーニングを覗いてみた。
小澤一郎と小沢一郎は同一人ではない?で触れた話題だが・・

『テレビはあんまり信用してみてはいけない』と思っていたのだが、『新聞の方も気をつけて読まなければいけない』と思った。

朝日新聞と毎日新聞のいわば政治関係の重鎮?(朝日・星、毎日・岸井)の記者が出演していたのだが、驚いたことに誤報に気がついていない(ふりかな?)。

郷原氏(元検事)が04年分の政治資金を報告した官報247ページを示して『不記載で法律違反だ!』という報道の間違いを指摘したのだが、それによって新聞の記事が、官報の記述を確認して書いていないことを露呈したし、その後もその事実に基づかない、検察からのリークを前提にした議論を展開していた。
もうtakeyama程度でさえ政治資金報告書に記載してあることは確認できるのに、その『事実を承知していない』とは『ちょっとびっくり』。

そして『検察のリークは守秘義務を持つ公務員の法律違反』だという指摘には、もっともらしく『検察と記者は緊張関係にあり、必死に聞き出した情報の裏を取って記事にする』。『検察のリークではない』としたり顔に説明したのだが、対象者の裏を取ったのであれば『元秘書が不記載を認めた陳述をしたなどという記事は書けない』はずで、矛盾した説明に終始した。

説明責任と言い募るのだが、誤報した経過に対する新聞社の説明責任の方が先で、誤報の事実は認めるべきだ。

『好ましくはないこと』と『法律違反のこと』とは違うのだが、告発(誰だかどんな団体か不明)に基ずいた検察の捜査で、告発は政治資金規正法違反なのだから、そのことについては報告書に記載されていることが確認されたのだから理論的には終わっているはず(なのだが・・・)。

政治と金のことを疑惑にしているのだが、野党時代のことで・・

停電で見えたもの

土曜日に突然停電した。
電力会社は盛んにオール電化を推奨し、とくに安全を売り物にしているから『限界集落の住民』や『遠く離れている息子や娘』の『心をつかん』でいる。

昔はしょっちゅう停電したから、よく外に出て見て、まわりを確認して自分の家だけではないと何となく安心したものだ。

電力会社は『今はもう停電などしない!』と豪語し、2重3重の安全対策をしてあるから、一か所が断線しても逆方向から通電すると説明してきた。
事実、災害などで電柱がとんでしまっても短時間で復旧してきた。

だから土曜日の停電もはじめはタカをくくっていたのだが、ずいぶん長く停電が続く。

しびれを切らして電力会社に電話したら回線がパンク状態。

庶民は情報がないと不安になる。
こんな時支所の情報を頼りにするのは『村時代の名残』だから問い合わせたのだが、『地域の数か所で倒木があって、対応中』の情報は持っている。

庶民の不安にこたえて『情報は伝達した方がいい!』といったのだが・・・
こんな時のための防災無線だから・・

肝心の支所が停電で、十分その備えができているはずだと思っていたのだが、どうもうまく機能しなくて、『市役所の方からの広報で対応』するのが精いっぱい。
バッテリーも、支所には発電装置もあるはずなのだが、各種『施設の停電対策がそれぞれ違う』ようで肝心のときに対応が難しい(ようだ)。
技術的なことはよくわからない。

市役所の防災無線は、『美麻地域限定の広報』は『ちょっとした技術』がいるようだから、担当者の出番が必要で『日直では対応が難しい』ようだ。
広報に時間がかかって、こちらは『広報みあさです』ではなくて『こちらは広報おおまちしです』の放送と、『宅内』のスピーカーに放送が流れなかったのはそんな事情。

『支所に出向いて、その現場に居合わせた』ので若干の報告をした。

『壮大な防災訓練をしたなー!』『よかったなー、実際の自然災害の時でなくて!』『肝心な時に使えるシステムになっていないと困るから施設をよく点検しないと・・』そんな反省ができたのがいわば『けがの功名』

これを貴重な体験にしてほしい。
地域各所防災の備えはしてあるのを目にはしているのだが、『しっかり訓練しないと!』と改めて思った。

個人的には、炬燵は豆炭だし、食事はガスだから被害は少なかったのだが、トイレの便座が冷たくて、飛び上がった?のが停電の実害の最大のもの。

『委員会』と『本会議』で『意見が違った』

会議(議会も)の形は『議論を通じて全員の妥協点を見つけること』であり、『一致できないときの手段として、多数決行為』がある(と思う)。

1年ほど前、『予算がない事業の契約がまかり通った』の記事で『ちょっとした疑問』があって、ずーっと気になっていた。記事の最後の部分

『常任委員会での意思表示』と『本会議での意思表示』が『逆』でないと、勘定が合わない。

1年前、市の議会で議会の意見が割れたことがあった。
結局『可否同数』、最後は『議長裁定』になったのだが、『本会議での議員の賛否表明』から推し量ると、委員会でのそれも『可否同数委員長裁定』になるはずなのだが、委員会での審議状況を報告した委員長は、あっさり『多数で可とするべきと決めた』と報告している。

『ん?』と思うのがtakeyama流。

知り合いの議員に聞く機会があったのだが、委員会と本会議の間に態度が変わった議員がやはり1名いたことが判った。

『委員会では、市長提案に賛成した』のだが、『その後の研究や調査の結果、やはり提案には賛成できない』と態度を変えた。
takeyama流にいえば相当勇気のいるケースで、『ぶれる!』と『信念がない!』などという批判は目に見えている。
それを乗り越えた。
結局議長の裁定で大勢が変わることはなかったのだが。

村の時代にも似たことがあって、委員会での意見を本会議で変えた議員があった。

前日の様子で『タカをくくっていた関係者』が思わず『昨日と意見が違う!』とやじったのだが、『アー変えた!、理由を言おうか?』と『自信満々に反撃』され、すぐに黙った。
相当考えた結果のようで、ちょっとした感動があったことを今でも覚えている。

会議は常に『真摯な議論』を展開してもらいたい。

昨日のブログもだが、どうも『この市の契約案件』には『ちょっと?』ということが多い。1年前のことを『ことさら蒸し返す』つもりはないのだが・・

漢字は『かんじ』で読むんだよ!

音読という授業があって、その宿題がある。
宿題はもちろん教科書の世界だが、ちょっとした雑誌や新聞の類を『子供に読んでもら』うことがある。

自分で読むことが『ちょっと厳しい』ことがあるから。

それらの音読を聞いていると、『あ!漢字を読み間違っているな!』と気付くことがあるし、読めない漢字を示されることがある。

『あ!この字』と言って新聞を見せる。
眼鏡を代えないと本当は判らないのだが、そこは経験則、『前後のつながりで判る』ことが多いし、『見ないでも判る』ことがあるから、相手はびっくりする。

そこで『かんじはかんじで読むんだよ!』と言ったら、怪訝な顔をしたが、しばらくして気がついて、にっこり笑って納得の気配。
『なるほど!』と感心している様子が愉快。

『私はびっくりした!、麻から、ぼたもちができるのかと思った』とかみさんが笑った。
『ぼたもち』と『おはぎ』は同じもので、季節や食する機会によって呼び方が違う。
もっと理由があるかもしれないのだが、庶民に難しい理論はいらない。

24日の麻のサミットでのこと。

サミットを紹介するパンフレットの文言をずいぶん批判した。伝統文化の継承をうたうフォーラムに伝統の言語がつかわない神経に『きれた!』から。

堂々と、平気で、パンフレットはあちこちに張ってあったが、講演や事例発表に『麻ひき』の表現が使われることはなかったから、マーよかった。
本当は、その麻ひきの間違いの経過を説明して、正した方が、『文化の伝承上は効果的』だったと思うのだが、まー都合のよくないことは『そーっと、やり過ごす』というのが世の常。

まだひとつ、字に書くだけではわからないことがあって、『麻(お)はぎ』は『麻(お)をはぐ作業』を名刺風にしたものだから、厳密にいえば『私は、おはぎをする』とは言わないで『私は、お(麻)をはぐ』という。

同じく『お(麻)をかく』という作業が『お(麻)かき』で、そんなことがしっかり理解されているのか疑問な言い回しをする主催者側の人間があって、なんとも違和感があったのが、さっきのかみさんの言葉。

テレビなどのドラマで信州物が扱われるとき、信州弁の特徴は『ずら』ということで『取ってつけたようなずらずら弁』に辟易することが多い。

生活実感のない地域の言葉づかいは、地域の人間は侮辱されたと思うことが多い。

イントネーションや発音の違いで、『お(麻)はぎ』が『ぼたもち』になってしまったり、『お(麻)かき』が『おやつのそれ』になってしまう。

『おめ(お前さま)、よくきた(来た)なえー(ねー)』とtakeyamaがいえば、老人は笑って喜ぶ(と思う)が、普段標準語や関西弁の人が同じことを言ったら、老人は侮辱されたと思う(かもしれない)。

生活実感のない方は、地域の言葉を使うことには注意した方がいい。
自分の『お国ことば』で話した方がいい。
『郷に入れば、郷に従え』という言葉はあるのだが、自分の持っているポリシーのようなものは簡単に変わるものではない。
『自分が気がついていないだけ』のこともある。

『地域を挙げての文化祭だから』と、『連合自治会の長』がいわば『お飾りの実行委員長』に祭り上げられたのだが、それやこれやで『いらいら!が続いた文化祭?』は終わった。

どっちが母屋で、どっちがひさしだかわからないが、地域の住民は納得したのか?疑問が残る文化祭?だったと思う『お飾りの実行委員長の感想』。

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『麻かき』と『麻ひき』

美麻の伝統文化に『あさはぎ』はともかく『あさひき』という言葉はないことを、
昨日のブログ『麻(お)』をかくで話題にした。

コメントももらったし、書いた後、考えたこともある。

『同じ作業のことを、地域によって違う呼び名で呼ぶことがある』だけで片付けない方がいい。
以下。

死んだ『おふくろの麻(お)をかく姿』をずっと見て育った。

麻の皮のうち『外皮の分はごみ』だからはずすのだが、その作業は2工程あった。

麻の方を固定し、『麻かき包丁(おかきぼうちょう)の方を動かして外皮をよける作業』と、後半は包丁の方を固定して『麻の方を引っ張って結果的に外皮を離す作業』との連続技で製品にする。

根もとの方は『丁寧に扱って上等』に、先端の傷が付いてしまった分は『作業時間を短縮する』ことに主眼を置いた。

前者は麻に対して包丁は鈍角で、後者は鋭角になる。

この二つの作業をきわめてリズミカルに組み合わせた。

包丁の方を動かす作業は『ごみ皮を、かき落とす』風で、包丁を固定し麻の方を動かす作業は『麻を引く』風。

これが『麻かき』と『麻ひき』の差ではないか?

麻をかく方は『品質重視』、麻を引く方は『能率重視』。

『麻をかく』という言葉で、美麻は続いてきたのだが、美麻などの山中麻は作付けの規模が小さいこともあって、『品質を重視した麻の文化』であった。実際上等の生麻が収穫できたのだろう。

『麻ひき』の言語が定着してきた地方は、規模が大きく『能率を重視し、生産量を追及』してきた麻の文化』なのだろう。

麻の文化は『もう絶えてしまった文化』を掘り起こして次代に引き継ぐことなのだから、単に『言葉の問題に事態を矮小化』しない方がいい。

『麻ひきという言葉』では『美麻の麻の文化を否定したことになる(と思う)。

美麻の人たちはいつも自分が間違っていたのでは?と思うう人が多いから、学識者の類の人が『麻ひき』といえば、自分が追従しないと遅れていると思って、簡単に自分の方を変えてしまう。

けれども、伝統文化は大事にしないと結局地域は残らない(と思う)、新しい美麻の住民が増えて、『昔の美麻』と言えば、実態が違っても飛びつく。

今日びっくりしたのだが、あすの文化祭の準備に集った関係者の間で『麻ひき』という言葉が『平然と交錯』している。

『産業としての、麻かきの経験も作業振りを見たことのない人間』が、『体験をセットされた、いわばお遊びの機会の経験』を『麻ひき』などと称して、したり顔』をする。

重ねて書くが、『美麻に麻ひきという言葉はなかった。』
各家庭に『おかき場というスペースはあった』が『麻ひき場というスペースは断じてなかった。』

すでに去年のワークショップなるものが怪しかった
『麻かき板』も『麻かき文化(美麻のような)』のスタイルといわゆる『麻ひき文化』では違ったのかもしれない。美麻で使った『麻かき板』は『薄い板で、数枚重ねて、弾力性がある』のだが、あすのために用意してある『麻ひき板?(と言うのかが判らない)』は、板というより木材だから弾力性が全然ない。精麻に傷がつくはずで、美麻で使った物とは明らかに違う。
そんなことにも注意して体験?してほしい。

いずれにしろ『産業としての麻かき作業』はなくなって、『文化の伝承としての作業しかない』のだから、軌道修正をしないと『良質の精麻を生産することにこだわった先人』に言い訳できない。

などと思うのは少数派?

『麻(お)』をかく

書いたものを見ただけでは、ちょっと気がつかないのだが・・・

伝統文化の伝承事業だそうだ。

美麻の伝統文化に『あさはぎ』はともかく『あさひき』という言葉はない(はずだ)。
今夜、地区の文化祭の実行委員会があった。

文化祭の中に含まれる行事ではないが、同時に開催する『麻のサミット』があって、その説明の中での話。

そのイベントの大きな柱に『伝統文化の伝承体験』というのがある。

美麻は村の名前の由来にもなっているほど麻とのつながりは深い。

だから麻にかかわる名称がたくさんあって、『文化の伝承』と銘打てば、言語にかかわることは相当重要なはずだ。

そんなことが大事だと思わないパンフレットだ。
見ただけで気がつかなければいけないのだが、言葉で説明を受けてその違和感に愕然とした。

麻を盛んに栽培し、麻糸の原料を盛んに生産した『伝統』の時代、麻は『お』と発音した。

だから『麻はぎ』は『おはぎ』だし、麻の外皮をはずすことは『麻かき(おかき)』といった。その道具は『麻かき包丁(おかきぼうちょう)』、その台を『麻かき板(おかきいた)と言い、その作業場のことを『麻かき場(おかきば)』といった。

とくに『おかき場』のことはそれ以外の言い方はないと思うほど定着し、古い作りの家をみるとこの家はここだな?と判る。
それくらい地域に定着していた『文化』だ。

蛇足だが『おかき場の恋』が一世を風靡した時代があるのが、この地域だ。

『麻』を『お』と読めない人間が増えることは仕方がないが、少なくとも『伝統文化の伝承』が今回の麻サミットのテーマなはずで、読めないものの方に視点を合わせては『文化』の名が『泣く』し、パンフレットのインパクトもない。

『美し村』を『うましさと』と読ませるセンスが、『ただの読み間違い』になってしまうとは、思いませんか?

とくに『麻ひき』という造語については全く根拠がなく『漢字が読めない』という話でもない。
最低『麻かき』でなくてはいけない。『麻ひき』はどこの文化ですか?

『美麻での麻』のことだから『『もっと通常の神経』を使ってほしいものだ。
そしてもっと『地域の文化に自信』を持たなければいけない。

麻のサミットは会場は文化祭の会場だが、文化祭とは一線を画して行われる。
それでも、実行委員長の立場で、こんなことをいまさら指摘してはいけないのだが・・・

大した被害がなかった台風

学校を休校して相当の備えをしたのだが、『長野県を直撃!』した割には美麻の被害はない。
というか被害の情報は聞こえてこない。

雨は梅雨時に降った程度で、土尻川の水量は大したことはなかったし、泥水の濁りも少なかったから大規模な土砂崩れなどはなかったと思う。

風は木の葉が落ちた程度で終わった。

少し離れたところでは道路わきの『桃太郎旗』は相当はためいてはいたが・・・

昔からこの辺では地形上だと思うのだが、あまり風が吹かないらしい。

美麻は昔、良質な麻の産地であった。地名の由来にもなっている。
正倉院の時代から山中麻として評価されたらしい。
柔道の畳の麻糸の産地だったそうだ。その辺のことは,
美麻wikiに記述があるのだが、良質な麻製品と『栽培に風は禁物』だったはずだ。

麻は2メートルを優に超える高さに成長し、日の光が届かなくて、下に雑草が生えない位に密埴するのだから風が一番の栽培上のネックだったはずで、そんなことから推察して、この地域はあまり強い風が吹くことはなかったようだ。

『合成繊維の発達』と『薬物大麻』の関係で、すっかり麻の栽培はなくなったのだが、今も麻の産業が残る栃木方面の麻や麻がらをみて、麻の品質の差は比べ物にならない位上等だ(と思う)。

かといって、それを売り物にすることは現下の状況ではとても無理で、文化の伝承が精いっぱい。

それはともかく、わが『故郷は風が吹かない地域であることに、改めて気付いた台風騒動』であった。

君子豹変

政治にとっての暑い(篤い)夏が終わって、待望の政権交代が実現した。
民衆の閉塞感は取り払われると思う。

新政権党にはマニフェストの実行が求められている。
民主党のマニフェストは『実行不可能なもので、民衆にこびた、ばらまき政策』だとの批判もある。

選挙民はマニフェストによって政権を選択したのだから『マニフェストは実行してもらわなくては困る』というのは正論だが・・・しかし

高速道路の無料化という項目がある。
ちょっと考え直してほしい。

『君子豹変』という言語は、『ぶれる』とか『よくないイメージで語られること』が多いのだが、本来の意味は『君子は豹変す』に源を発していているのだから、『君子は間違っていたことを正すことに迅速だ!』位の事だと理解した方がいい。

ずいぶん前に民主党は『高速道路無料化(前の参議院の選挙のマニフェス?)』を言っていたのだが、今度は自民党政府が選挙目当ての休日普通車の高速1000円を打ち出した。

明らかに『高速道路無料化』のつまみ食いでもあるのだが、もとが『選挙目当ての人気取り政策?』だから、国民の生活に密着している物流の方には恩恵が及ばない変なもの。

休日のみ恩恵があるのだから、レジャーのためだけに国民の税金を使うことになるし、石油燃料の消費が伸びて、地球温暖化を防止する課題にも逆行する。
そのことを契機に、ガソリン価格もずいぶん上がった。
高速道の渋滞も発生頻度が増した。

民主党の『高速道無料化政策』は物流にかかわるものだけに限定して『大型車だけ無料』に変換した方がいい。

青具地域の県道は、深夜2時3時の大型者の通行騒音に悩まされている。
言うまでもなく、『高速道路の通行料金を節約するための大型車の一般道通行が多い』のだ。

大型車が、『深夜山間の一般道に列を作ってうなりをあげる状況』は異常だ。
そんなに大型車が通行する道路の構造にもなっていないから、補修維持も大変だ。

一般道は生活道路なのだ。
通行料金が負担できないから一般道を通行せざるを得ない一方で、レジャーの車の通行料金負担が軽くなるのはおかしいしし、物流経費軽減は国民生活に確実に還元する。

全高速料金の無料化などを国民は求めてはいない(と思う)。

マニフェストにかかわらず『物流の大型車に限定して無料化なり負担軽減』に努めるのが、国民の生活が一番のキャッチフレーズにかなう(と思う)。

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落選したが当選した?

選挙や投票は民主主義の基本で、最も確実に民衆の意思を確認する手段だが、だから民意がその後に正確に反映されなければならない。

『政権選択の夏』が終わって『歴史的な政権交代』となった。
結果は、『いわば当然のこと』で終盤には『いわゆる揺り戻し現象』があって、超『大物の泣き落としのお願い選挙』が通用したようだ。
マー、日頃踏ん反りかえっている大物が、平身低頭してお願いすると『あの大先生からお願いされたのだから』という国民が出てもおかしくはない。
大物議員は事前の予想より底力を発揮して当選に滑り込んだらしい。

比例区で復活当選した者もいる。
標題の『落選した議員が当選?』が今回の選挙の復活当選を批判するものと思った読者がいるかもしれないがそうではない。

ある意味、小選挙区制度は恐ろしい制度で51対49の民意が、結果として100対0になってしまうこともあり、小さな民意や少数な意見はなかったこととして抹殺されてもしまう。
全部比例区にすればこの問題は解決するのだが、国会は代議員制度だから組織だけに民衆の意思を託すことも不安で、やはり『人に対する評価』も重要だ。

その両者の弊害を補う意味で、思想の違う選挙制度が同居する『小選挙区比例代表並立制』になったと思うのだが、まー大人の知恵の類だと思う。
だから比例区の順位を一律にして、『負けた程度で順位をつけるシステム』もベストではないにしても、まーベターな方法だと容認している。

だが、こんなことがあってはいけない
『当選できる得票があるのだが候補者がなくなったからほかの党に割り振る』なんてあってはいけない。
選挙人の意思とまるっきり違う結果になってしまう。

党の見通しの悪さがあることはもちろんだが、かといってまるっきり[『正反対の勢力が選ばれる』ことがあっては、民主主義の根底が崩れる。

ことは制度を作ったものの想像力の欠如が原因だが、候補者が足りなくなったら『他の党に振り替えるのではなく』欠員でも定数をその分減らすかしなければおかしい。工夫できるはずだ。
民意が『政策がまるっきり違う方向』に変わってしまっては、投票や選挙の意味がない。

すでに4年前に同じことがあったのだから立法府たる国会の怠慢だと思う。

『政党の見通しがまずかったせい』だとか、『損得論』に、事態を矮小化してはいけない。
ことは民主主義の根幹だ。

裁判官国民審査

自分の民主主義は『中学の公民レベル』だという話は何回もした(と思う)。
だから『今もって青い』のだが、高齢者の仲間入りをして、それを恥じるより誇っている。
より頑固になったかもしてない。

中学3年時は戦後の民主主義やこの国の憲法がある意味『相当輝いた時期』だったと思う。
まだ『道徳教育の導入前』だった。

その時代、憲法が民主主義とともに語られ、『基本的人権』や、『主権在民』、前時代との対比で『自由と平等』、そして『戦争と平和』が声高く語られ、民主主義『制度としての3権分立』にいたく納得したのだった。

行政と立法、そして司法が相互チェック機能を持ちあう機能は『制度としては相当のもの』だと思う。

だから今でも、各種の機関や組織の規約、自治会のそれや農協の定款などについても『権力の分散や相互チェック機能』について、相応の発言をしてきた自負はある。

だが『理想的なこの思想』が『十分機能しているのだろうか?』、最近疑問だ。
国の機関のそれについては、相当怪しい。

それを国民の側から改めさせることができるはずなのだが、制度はあっても正常に機能はしていない(と思う)。

8月30日は一番の機会。

議員を選ぶ選挙はマスコミの偏向報道はあるにしても、ある程度の情報は国民に届くのだが、主権在民の一環として『最高裁判所の裁判官を国民が審査する機能』は『絵に描いたもち』状態。

判らないから『そのまま入れたら信任したことになる』という、詐欺まがいのシステムが横行していて、投票記載机に向かっただけで周りからは「アー×をした!」と分かるのだから、善人を気取っている有権者にはつらい。

ちょっと気になる裁判官がいても×をする勇気がない人が多いはずだ。

制度の問題点は8月26日の朝日新聞社説に載った。
その新聞社も読者の求めている情報を知らせてはいないのだから『何おか言わん!』なのだが、今日『国民審査の公報』が届いた。前にあまり信用できないことをブログに書いたのだが、その心配の通りだった。

公報をそのまま読んで裁判官に×をつける人はいない。
肝心のことは書いてないから・・・

30日は身内の法事だからあす期日前投票するのだがその前にtakeyamaの意思表示を!
このブログを読んでくれる方に勧めるわけでもないのだが・・
情報不足で困っている人の参考になれば

すでに竹内行夫判事に×をつけることは意思表示した。
当代1の人気ブログのきっこのブログと考え方が同じだが、岳山」ブログではすでに7月8日の時点で意思表示した。これはちょっとした自慢で、実は『にんまり』!している。

この判事は、日本がアメリカのイラク戦争に加担した元凶の外務次官で『判断材料』に書いたのだが、外務省裏金づくりにも関与した(と思う)。
世間を賑やかせたムネオハウス事件関与(でっち上げ?)や、佐藤優氏個人に外務省裏金事件を振り向けた。

まだなりたての判事だから、特徴ある裁判歴はないから、公式の公報をいくら見ても判断できないのだが断固、『判事としては困る』と多くの者が声をあげるべきだと思う。

近藤崇晴判事に×をすることもすでに意思表示した。
公報には意図的にだと思うのだが、植草冤罪事件に裁判長としての控訴棄却したことは書いてない。
6月25日の法廷で決定したのだが、何と公報には4月28日の事件まで記入して事態をごまかしてある。

この判決への関与はこちらで知った。
何と同種の事件には堂々と無罪を主張しているのだから、植草氏の政権批判の論陣封殺に乗り出した意図を感ずる。
公報の卑劣さを糾弾する意味を加えて、断固近藤判事に×をすることを改めて宣言する。

この小法廷での裁判に同席したことがこちらで分かった田原睦夫判事にも×

いま民間人の裁判員制度のことが話題だが、このことのために異例な形で最高裁判所の長官に一気に上りつめた竹崎博允判事がいる。
裁判員制度のために特別任命された感じで、この制度に疑問のあるものは×した方がいいのだが、takeyamaにはちょっと判断がつかない。
△をつけたら全体が無効になるからとりあえず無責任だが、白紙で提出する。
つれあいは×だそうだ。

こちらのHpを参考にしたらいい。

このことも公報には記載がない。

那須弘平判事に×すべきだと信頼する言論人の発言もある。前述した外務省背任事件だが、『組織としての事件を個人に歪曲』してしまった。
佐藤優氏の事件だが、時の上司が組織としてしたことだと証言した。
佐藤氏本人が背任行為をしたことは認めている(もちろん個人の利益のためではないこと)のだから『有罪でも仕方ないのか?』という考えがあって、×する自信がない。

選任の過程からみて、いずれの判事にも×をするべきだとの意見が多い。
ヒラメ裁判官という呼称もあるらしい。ヒラメは上(権力)ばかり見ていて、片側にしか目がない。
ヒラメ裁判官では国民が困る。

制度のシステムが『白紙は信任』となっているくらいだから、実際不信任になることは想像できない。
だから『いわくのあるものの不信任の比率が高くならないと意味がない』のだから、『全部を×』の議論にはくみしにくい。

竹内、近藤の順に不信任が多くなることを期待している。

ずいぶんジャンプが多くて読みにくいのですが、最後まで読んでくれてありがとう!

裁判官を審査しなければいけない(その2番目)

前に『裁判官を審査しなければいけない』で予約したことがあった。

判断材料でも最高裁判所の判事に対する国民審査で、国民の意思を示したほうがいいことを書いた。

竹内行夫判事(アメリカがイラク攻撃に及んだ際は、「ここを乗り切れば、イラク問題への対応の8割は成功と言われています」と、攻撃を支持するよう、当時の小泉純一郎首相に迫った。外務事務次官からの最高裁判事に転身。)に×をすることを意思表明した。

加えて、植草さんを陥れた(と思う)権力(小泉・竹中路線)に加担して、最高裁への上告を棄却した裁判官がわかった。
8月3日に『刑期の残りを果たせ!』と刑務所に収監されたから、『無血革命ともいわれるこの総選挙』に言論参加できない。
時の権力者が相当怖がっている裏返しであるのだが、国民にとって不幸なことにならなければいい(が)・・

近藤崇晴判事に×をする。

前にも書いたことがあるのだが、国民審査のシステムは相当変な方法で行われ、○と×で区別すると無効になるのだが、判らないからそのまま投票箱に入れると信任したことになる。
だから判らなくて困ったら、『用紙を貰わない』か、勇気を出して『用紙を返す』しかない。
まごつくと『そのまま入れてください!』位の事を言う事務者や立会人がいる(かもしれない)。
棄権する権利を行使するのには勇気がいる。

あと2人『考え中』の者がいるのだがいずれ・・

冷静に解説しているHpを紹介
takeyamaはこっち方がピンとくるのだが・・・

衆議院議員の総選挙の期日前投票は、告示後すぐにできるのだが(美麻支所では違うかもしれない)、国民審査は23日以後でないと、できないようです。

今日の岳山
今年の目標、復活再生を、雪の下で待つ『わかたの棚田』,11:2:2
11;2わかたの棚田  23年新春 自宅2階から山小屋風 1月3日朝 山小屋?  夕焼け(22;10:29)庭から鹿島槍を 夕焼け 鹿島夕日
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まだまだ、3年生には!
どっちが引っ張る?

地蜂ほり
山留生を相手に地蜂をほる。

2年田起こし
GWは棚田の季節


通称「かっちゃ」
山留生は「農家の父さん」
トラクターは退職金で買った。
年金で肥料を買うが、職業は農業(のつもり)。

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